kindle, 手ぶら, iPhone, 禁酒,ウォーキング,禁煙,断酒,ダイエット,断酒,ノンアルコール,Evernote,ライフハック,読書.音声入力

徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月14日日曜日、晴れ

2万年前のホモ・サピエンスみたく生きたいと常々希んでいるのだけど、それはつまり農耕文明のまだない時代を生きるように生きたいと考えていることで、共同幻想から自由になっている自我を維持、強化したい。

例えば私は、地方自治体のなかでも物凄く東京から遠い地域が、ひっそりとPDFで公開しているような「地域ブランディング・ブック」みたいなものには、心底身の毛がよだつ。

地元の美人が、その地元で「輝いている」瞬間を、広告代理店のアート・ディレクションで巧みに切り取って、考え抜かれた意外性のある美しい言葉とともに端正にレイアウトされている。そういったブランディングやイメージ戦略とともに、他のページには、矢鱈とトリビアルな記事、その地方の名産品に関するアカデミックなディテイルなど、極めて整理されたデータベースの虚飾。

その種の冊子の奥付をみると、ドンズバで広告代理店が介在しているものもあるし、旅行代理店の関連会社みたいなところが、こういった地域ブランディングみたいな事業をはりあってやってるんだなと合点が行くこともある。

地域をブランディングするのは誰か。当たり前のことだが、広告代理店や旅行代理店に発注する人がいるんである。例えばその地域の首長が比較的若く、東京の大学でマーケティングを学んでいたり、東京でキラキラした名前の会社に就職して、ブランディングやらパブリック・リレーションズを職業として経験していたりして、あんな感じで自分たちの街を、ブランディングしたい……と考える。

放蕩息子が、父の死で家業を急遽ついで、その家業を表層的に矢鱈と現代化してしまい、それまで大切にしていた顧客や従業員や取引先がドン引きして離れてしまう現象と、イケイケ首長による地域ブランディングは似ていて、やればやるほど、嘘くさくなってしまう。

そもそも、もはや「地方」なんてものは日本には既にない。日本全国津々浦々にジェントリフィケーションとマーケティングは行き渡り、ありとあらゆる情報は、なべてスーパーフラット化している。つまり往年の広告代理店的な、整理された、無駄のない、考え抜かれた小綺麗な地域ブランディングは、まず地元の人々に、「恥」として認識されてしまう。こんな恥ずかしいことに、自分たちの血税たくさん使いやがって……となる。

地域ブランディングの内部ターゲットにもスルーされる上に、地元のステイクホルダーからも軽蔑されて仕しまえば、何のためにブランディングなんてしているのかわからなくなってしまう。

広告宣伝とプロパガンダが、実は丸で同じ穴のムジナであることがすっかりバレて、広告代理店的な整理されたコマーシャル・メッセージは速攻スルーされるようになっている。それは何も地域ブランディングだけではない。参議院選挙だからといって、いま矢鱈と投入されている既成政党のメッセージも、党首がドーラン塗って、恰もトランプ大統領のごとくガッツポーズをしているさまや、外注先のコピーライターが考え抜いた美辞麗句、子どものお遊戯会のように芝居掛かった掛け合い政見放送、どれもこれも、「あ、これ、プロパガンダじゃん」と気づかれた時点で、ものすごい勢いで意識遮断のシャッターが上から落ちてくる。

テレビなんぞは、もともと電波というものが国民国家のアセット、プロパティなので、国民国家に不都合な情報を発信することなぞ‪端から‬できないのだから、テレビなんて期待なんてせず‪端から‬観なければいいのである。

テレビは不公正で当たり前。新聞社は全部が全部、テレビの経営者なんだから、新聞も書かないことだらけ。これは資本と政治のセオリーである。私に言わせれば、テレビなど‪米国で生まれた時から、ジャーナリズムなんてものに使える代物ではない。

今回の参院選挙は、その国民国家のプロパティとしての「テレビの力」がどれくらい残存しているのか、そこだけが本当に興味深い。プロパガンダをプロパガンダと自覚しないまんま鵜呑みにしている人が、実際にまだどれくらいいるのか。整理された美しくてムダのないブランディングやパブリック・リレーションズをまだ信じている頓珍漢がどれくらいいるのか、実に興味深い。