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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月12日金曜日、雨

人間は繁殖期がフラット、つまりいつでも発情して性交して繁殖できる。激しい感情がとことん剥き出しになっている、攻撃的な動物なのであり、それだからこそ、地球上で異常増殖を成し遂げた。人間にとってのがん細胞と、地球にとっての人類は相似形であって、コンビニが増えすぎて自滅していくありさまも、相似形である。

猿が集団で興奮すると人間も手をつけられないけど、人類はその猿よりもはるかに強い激情に支配されており、欲望のレベルが他の生物とは比べ物にならない。殺し合いや奴隷制度など人類にしかないわけで、激情の種であるが故に、進化したのではないかと私などは考えてしまう。

人間は集団のなかで個の激情がぶつかり合う。万人の万人に対する闘争、剥き出しの激情がぶつかり合うという意味では、20万年前も今日もその激しさは変わらない。農耕文明まではせいぜい150人くらいの規模での闘争に過ぎなかったのに、国民国家になって数千万から億単位の闘争規模になって、人類一人一人の感情は、農耕以前に比べて、常に興奮状態、戦闘状態に置かれている。

アルコールはその興奮を鎮めるためのドラッグなので、昔は祭りの時に小規模集団の上位階級が儀礼や権威づけで服用していた薬物だったのに、国民国家になってからは、大衆の興奮を沈静化させる為の薬物として量産されるようになった。アルコール依存症はなぜ生まれたか?

国民国家→闘争規模拡大→敵の爆発的増大→敵に掻き回された激情を沈静化させるニーズ巨大化→蒸留技術による増産

アルコール依存症の歴史は実は浅く、国民国家という大規模な興奮状態と、蒸留というアルコールの大量生産技術が確立してから、つまりたかだか二百年程度の歴史なのであり、人間にとっての刺激が増大したからこそ、アルコールは必要とされるようになった。

そう考えると、人がもし、国民国家や万人との闘争状態をやめてしまえば、アルコールは要らないと考えることができるわけで、実際、アルコールの消費量は、国民国家の減衰とともに減少しているのではないかと仮説することができる。

Sobriety つまりシラフという価値観は、脱国民国家とか、闘争状態の解除という大きな世界の変化の中に位置付けられるべきであり、ポスト政治となる時代には、アルコールは不要となるだろう。酒を飲まないことは、思想的な先取りなのであって、個人の趣味の問題ではない。

森をさまよう彼には産業も、言葉も、家も、戦争も連帯もなく、仲間の必要もなく、同じく仲間を傷つけようとすることもない。(ルソー『人間不平等起源論』)

この世界観にとって、アルコールはもはや無用の毒物であって、短絡すればルソー的な世界を理想とすれば、アルコールなんて簡単にやめられる、ということになる。なぜなら、森をさまよう私には家族も、会社も、国民国家も、仲間も要らないのだから、アルコールが介在する余地がないのである。

「命の水」であるかのように酒をごくごく飲む父親も要らない、「お前、俺の酒が飲めないのか?」と迫り来る年長者もいない、国民国家によるプレミアムフライデーもない、酒を通じた相互監視や同調圧力もない。

剥き出しの激情を沈静化させる為の麻薬がアルコールなのだから、不特定多数の他者との激情が縮減すれば、アルコールの役割も減る訳で、最近の若者がアルコールをあんまり飲まないのは、不特定多数の他者と激情を触れ合う必要がないから、ごく自然なことなのである。

Sobriety は人類の共同幻想が縮減しているが故に、これからますます顕在化するトレンドであって、Sobriety はそのうち、ダイエットとか筋トレのような当たり前のスタイル、ビジョンになるだろう。