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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月11日木曜日、曇り

手ぬぐい一枚で全部済ませるのが理想。バスタオルなんて要らないんですけど。銭湯も手ぬぐいがあれば問題ない。手ぬぐいは速乾性が高くて便利。持ち歩きもラク。

今治のタオル工場でベトナム人実習生の過酷な労働環境がまた暴かれていたけど、外国人を奴隷のように扱うことで生産されるタオルなんて本当に要らないんですけど。ゴムやバナナのプランテーションみたいで、寒気がする。

入管法が改正されて、ますます「現代の奴隷労働」が助長されつつあって、胸糞悪い。弱者の輸入。もう持続可能性のないシステムの維持の為だけに、弱者を輸入する愚かさ。

かんぽ生命、生命保険契約数の厳しいノルマを従業員に課し、不正をしなければ達成できない状況を作り出す。朱子学カルト。そのしわ寄せは、保険の契約者へと及び、なけなしの金でかけた保険がパーになってしまった人もいる。ひどい話で、朱子学カルトの上層部からすると、弱者など誰でもよく、弱者のことなど知ったことか、なのである。

戦中に米軍が日本軍の性向を研究して得たファインディングスがあって、それは、日本人は人間が生きているうちは酷薄極まれるほど非人間的な取り扱いをするのに、その弱者が死んでしまうと途端に一個の人間として扱う、という不気味な発見だった。兵隊が生きているうちは、私的制裁や人格の否定、食料もまともに与えず死の行軍も冷酷に押し付ける。しかしひとたびその兵が死ぬと、途端に人間であることが再生され、英霊として丁重な取り扱いに転換される。

人が死んでしまうまで人が人ではない、それが日本のデフォルトなクソシステムで、これこそが朱子学カルト。お立場やご身分が自分より下の人間は、彼が生きているうちは非人間扱い、とするルールでずっとやってきた。

私はだから、私より身分や立場が上の人間の言うことなどいっさい聞いてない。同じ人間だと思わないことにしており、非人間的扱いという意味で対称の関係を作ることにしている。既に社会人を勝手にやめているので、身分や立場など、知ったことではない。

社会人をやめたとしても、そのことを予告も宣告もしなければ、社会人の固定給は支払われ続けることにも気づいた。固定給は向こうが一方的に損しているシステムなので、貰えるものは貰えるまで貰い続ける。

相手を人間として認識しないという態度は、人間の凶暴さの根底にある原罪で、日本人はこの罪が色濃く染み付いている。親、教師、上司、官僚、経営者、学者、アーチスト、ありとあらゆるお立場ご身分の人間たちは、目下を心底からバカにして人間扱いしていない。

イエ制度の固定化された朱子学カルト社会では、指導者とはただ単に、身分上位の者であり、身分とはほとんど血縁によってプリフィクスである。ネポティズムによる専横体制。

朱子学カルト社会の外へ出るシンプルで簡単な方法──それは身分制度から勝手に降りてしまえばいい。フリーランスはもちろん関係性の自由を回復できるし、実は、サラリーマンだって、しょうもない身分制度を捨ててしまったその日から、自由な精神を取り戻すことができる。最初から関係ないのであるから、現在も未来も丸で関係ないのであって、非人間的扱いは身分の上と下で、徹底的に対称的であるべきなのだ。

現代の身分ヒエラルキー上位にいる人間はほとんどがヘタレなので、下から見限られると途端に、彼がその上からの承認や評価を失う。朱子学カルトシステムに持続可能性がないことがバレたいま、下が上を見限っても、基本なんのお咎めなし。

会社で人事に関するごたごたが起る時、その原因の大半が若い社員の上役に対する反抗、それも信じられぬほど徹底的な反抗にあることを久国は、いやというほど教えられていた。

『家族八景』筒井康隆