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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月10日水曜日、曇り

私はマークシート式だったからこそ大学入試をくぐり抜けたクチで、貧乏なので浪人はできず、マークシートだけで突破できる大学があったからこそ、いまこうしてのうのうと生きている。

その大学入試システムが 2020年度つまり2021年1月実施分からまた変わるみたいで、国語や数学で記述式の問題が出るようになるらしいんだけど、今更、「オープンアンサー」つまり自由回答を書かせることを「改革」としている文科省は、あたま大丈夫だろうか。覚醒剤の打ちすぎなのではないか。

しかもその書かせる回答も、国語で二百文字もいかないTwitterなみのしょぼさ。

世の中的には自由回答の採点を大学生アルバイトまで動員するという計画がざわついていたりするし、みんなは「考える力は大事だけど、採点は大丈夫?」 みたいなこと言っているけど、考える力という思考停止ワードそのものが、おかしいのではないか。

自由回答を同じ条件でちゃんと評価できるのかといったオペレーション上の懸念よりもまずは、私は改革の目的そのものに底なしのアフォらしさを感じる。

大学入学希望者を対象に、高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定し、大学教育を受けるために必要な能力について把握することを目的とする。このため、各教科・科目の特質に応じ、知識・技能を十分有しているかの評価も行いつつ、思考力・判断力・表現力を中心に評価を行うものとする。

文部科学省高等教育局(大学入学者選抜改革について(平成29年7月13日)より

考えさせる教育、思考力を測るという物腰が既に朱子学カルト。物事の思考を国民国家が制御できるという発想が200年遅れている。考える力がエリートにあれば、こんなクソ国になってない。大人にまともな「考える力」とやらがあれば、セブンイレブンという日本一のコンビニで、2ファクタ認証のないペイメントサービスなんて生まれないだろ、と思うのだ。

しかもここで言う思考力とは要するに、国民国家の経済力を高めるために使える思考能力である。それはおそらくクリティカル・シンキングやMECE などといったマッキンゼーとかGoogleっぽい、「グローバル人材」思考力のことを、イメージしているに違いない。

しかしながらそういった「金儲けのための思考力」は、本当にまともな「考える力」なのか。世の中を変えるのは「若者」「よそ者」「馬鹿者」などと言われるけれど、大学入試で、朱子学カルト社会に役に立つ「なんちゃって思考力」ばかりが試されると、日本を変える可能性のある大馬鹿者の健全な思考能力が削がれてしまうのではないかと心配する。

考える力は何かと言えば、要するに物事を疑う態度である。斜に構えることである。車谷長吉の「反時代的毒虫」精神である。模範解答を想定して、社会的「正解」を得ようとしている時点で、もうそれは考えているのではない。

そもそも考える力なんて、本当に重要なのだろうか。どんなに考えたって、それを口にできなければ、考えていないのと同じではないか。生産性を高める為に、社会から要請される思考力など、もう既にAIに敵わないのではないか。

ブルース・リーの有名な、Don't think, Feel. は、「考えるな感じろ」なので、思考の否定だと思われるけれど、セリフには続きがあって、

It is like a finger pointing away to the moon.Don’t concentrate on the finger, or you will miss all that heavenly glory.

とある。思いっきり意訳すると、「考えるとは、月を指差すときに、指に神経を集中してしまうことに似て、それでは勝てない。勝つためには、月を感じるのだ」となる。「栄光に向かって生きる為には、思考なんて手放せ」と言っているのだ。

しょうもない思考力は、コモディティ化して無価値になってきている上に、生きる喜びを阻害してしまうのであり、トヨタの「なぜなぜ五回」とかは、単なる朱子学カルトで、GMのパクリでOKだった時代のしょぼい武勇伝に過ぎず、百害あって一利もない。

今さらこんな時代錯誤の大学入試「改革」がまかり通るとは、本当にレベルが低い。結局のところ自由回答を採点する人員を動員・管理する竹中系人材派遣会社が得するだけではないのか。

教育がこうだと、そこから先は全て間違えているわけで、そこが、果てなく恐ろしい。