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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月9日火曜日、曇り

寒い。これだと夏野菜が育たない。気温が高くないと本当に成長が止まる。収穫を期待して畑に行くと、肩透かしを食らう。先週末植えたさつまいもの苗は順調に育っている。それだけのことなのに、それが嬉しくてこころ浮き立つ。植物と向き合うのは、言葉のない世界。なんといっても植物には、諦観がない。どんどん伸びていく。見ているだけで勇気付けられる。

我々は、なぜか諦観を持ってしまう。和語で言う「あきらめる」、日本人は「あきらめる」感覚が、とてつもなく繊細だと思う。「あきらめる」は元々はポジティブな意味の言葉。

諦めるの由来・語源
語源は、事情などをはっきりさせる意味の「明(あき)らむ」が、近世以降、心の中にはっきり決める、迷いを断ち切る意となり、さらに転じて、断念する意味へと変化した。「諦」は字義から当てたもの。

「あきらめている」ことが美化されている。諦観は、粋であることの大切な要件で、意気地があって、媚態があって、諦観があることが、粋だとされる。

諦観が美徳と結びついていることが、日本人にとって少しずつ悪影響を及ぼしてきているのではないかと考えている。どういうことかというと、ものわかりがよいから、我慢してしまったり、自分のせいなんだ、自分が悪いんだと思いがちである。

客観的に見て、相当きつい状態に置かれていても、「あきらめ」が上手なので、グッと堪えてしまう。最賃が低くても、仕事がクソな感情労働でも、いじめやしごきがあったとしても、日本人はついつい諦めてしまう。選挙の投票率が低いのも諦めの要因がでかい。この国はいわば「あきらめの帝国」である。

とにかく何か不当なことがあっても他人や社会のせいではなく自分のせいだと思い込んで諦めてしまう。政財官学のエリートたちは、その国民の「諦めやすさ」にぐいぐいつけ込んでくる。自己責任論や自助論は、要するに「あきらめ」の政治利用である。

だから「これはこうなんだ」と矢鱈と「明(あき)らむ」態度は、要注意、要警戒なのではないか。生産性の為に、考え抜かれた、短くて、ムダのない「これはこうなんだ」が矢鱈ともてはやされるけど、本当はそんな風に強くて速い説明は、あてにしてはいけない。

「これはこうなんだ」は要は巧言令色であって、美的な命令であり、そんな説明を鵜呑みにして、軽々にあきらめてはいけない。考えるとは、「明らむ」とは逆の知的ストレッチなのであって、もっと混乱や矛盾や倒錯を、加工せずありのまんま受け入れた方がいい。

下手に「明らむ」ことばかりに飼いならされて、矛盾や撞着は、良くないものとされてきたけど、むしろ整理されてムダのない「明らみ」こそ、胡散臭くて有害なのだ。矛盾だなあ、と思うようなことにこそ、世界の真相はある。

軽々しく独りで「明るみ」にして、勝手に引き受けてはならない。むしろ「暗やみ」のなかで矛盾を解消することなく、未整理のまんま拡散させ続けることが、大切ではないか。

考え抜かれて、美しく加工された情報は、価値がない。「あきらめる」とは、考え抜かれて、美しく加工された情報ばかりを鵜呑みにすることだから、よくない。

なかなか諦められない、そう考えるところから、生きていく喜びは湧いてくる。香港の反対運動をしていた若者が4人も、絶望して自殺してしまったけど、「考え抜かれて、美しく加工された情報」に殺されてしまったと、私は思う。思いつきの、矛盾だらけの、生産性の低い問いを大切にすることこそが、自分を大切にすることで、私はだからいつも、とにかく思いついたことを音声入力で記録していくことを重視している。

熟慮した結果を理路整然と文字にしても、それは解決にはならない。