kindle, 手ぶら, iPhone, 禁酒,ウォーキング,禁煙,断酒,ダイエット,断酒,ノンアルコール,Evernote,ライフハック,読書.音声入力

徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月5日金曜日、曇り

QRコードってもともとは、出荷の手間を省くために日本のデンソーというトヨタ系の会社が開発したものだと思うのだけど、それを中国人が決済に使い始めて、日本に逆流し始めたのが、なんちゃらペイの乱立、もうあちこちの店に行くと、どこでどんななんちゃらペイが使えるのか、ごちゃごちゃも極まれりだけど、日本でこのQRコード決済が始まったのは、中国に負けるなということだったような気がする。

要するにアリペイやWechatペイの「中華プラットフォーマー」にみすみす日本の市場や取引データを明け渡してはならない。「日の丸ペイ」を一日もはやく確立して、中国に対抗しようという動機だったと記憶している。

それから、「これからの時代はデータこそ重要で、あらゆる産業が”データ・ドリブン”にならなければ生き残れない、データはこれからの”新しい石油”なのだ」などという説も、なんちゃらペイの乱立を後押しした。

日本企業は、つい最近まで、個人情報や個人の取引データなんて”やっかいなもの”は、万が一漏れたら大きな責任問題になるので、親会社はそれらに一切触らず、まるでババ抜きみたいに、子会社や取引先に丸投げする、というのが全体の常識だった気がする。個人情報漏洩は、担当役員をかばいきれなくなる「重要インシデント」になるので、最初から持たないでおくことこそが、ゼロリスクの「できる部下」だった。

私が普段よく使うとある駅は、JRと私鉄の乗り換え動線がすこぶる悪くて、雨の日などは乗り換えにも傘が必要だったりするのだけど、乗り換え動線をよくするという課題解決レイヤーには行政も企業も誰もおらず、JRはJRで自社所有地の価値を上げるべく勝手に駅前再開発を進めるので、いつまでたっても全体の、つまり公共の利便性が向上しない。

公共性よりも自社が儲かればいい。だから街というインフラの「合成」がどんどん誤謬へと向かう。これはいわゆる「合成の誤謬」と呼ばれる現象で、Wikipediaによれば「ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語」とある。

米国のロサンゼルスは自動車がないと生活できない、というけれど、ロスも昔は都心部に鉄道が結構走っていた。それを自動車中心の街に変えてしまった主体は、GMである。だから、全体最適は国だからできるわけでもなく、要は戦略があればできるのだ。

街の開発も、キャッシュレスというフィンテックの開発も、要するに「合成の誤謬」の結果として、日本では公共の統治者が不在で、ミクロなレベルで様々な企業がエゴイスティックな朱子学カルトの悪い打ち手を重ね続けて、ミクロの集積として立ち上がる全体世界では、狂気としかいいようのないディストピアの誤謬を招いている。

「中国のQR決済に負けたくない」という当初の目標を達成するのであれば、財務省なり経産省なりの行政がリーダーシップを発揮して、ひとつないしはふたつ程度のQR決済プラットフォームに集約させるべきで、各社一斉に独自方式を開発すれば、現在のような混乱を招くのは当然であるし、キャッシュレスで中国に遅れを取りたくないという当初の目標も丸で達成できない。これでは一体何のために、QRコード決済を推進しているのか全く意味がわからない。

さらに言えば、中国のキャッシュレス決済は、QRコードに加えて、既に顔認証メインへ移行しており、もはやQRコードすら不要となりつつある。日本は戦略やリーダーシップがないままQR決済という手段が自己目的化して、後発がしょぼい追従を急いだ結果、PayPayのような先行者の初期トラブルを後発のセブンペイがいっさい学習せず、同じような事故を再発させたり、データ・ドリブン・エコノミーに遅れは取りたくないが、開発は自前でできないので、業者・ベンダーに丸投げするという、冷戦期のまんまの大企業のやり方を変えることができないで結局、データドリブンにもなれず、顧客の信頼も失い、企業価値が旧減衰する事態を招いている。

ベンダーとときどき仕事をする私に言わせれば、誤解を恐れながらも言えば、多くのベンダーとはユーザー企業の「無知」「無能」「官僚制」「不作為」に乗じて巧妙な「忖度」「接待」「すっとぼけ」「ご飯論法」で金儲けをする業態であり、例えるなら目的地のわかっていない、方向感覚のない乗客を、未来永劫下車させないでメーターを上げ続けるタクシー運転手のようなものである。絶対、自分で運転した方がはやいし安い。

ベンダーに丸投げしている時点で、カモ確定。

これは特定企業の問題ではなく、日本の旧い大企業に共通する病理であって、そうこうしているうちに需要も市場もコア技術もプラットフォームもコンテンツも、完全に競争優位を見失いうだろう。

「対岸の火事」ではなく、これは島国の「海岸の火事」である。炎上する他者との間に、水はない。日本病の根は深いから、燃え尽きるところまでいくだろう。