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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月4日木曜日、雨のち曇り

私たちが音楽的だと考えていることが、ほんとうは人間の不幸の始まりかもしれない(小泉文夫)「折々のことば」1417

考え抜かれて、無駄のない美しい言葉は、もはや価値がない。最近はそう考えられるようになってきて、広告や政治の言葉だけでなく、あらゆる藝術表現において、高いコストを投入して生み出されている凝った表現物に、無条件に疑いの眼が向けられ始めている。

政党の言葉、CMのキャッチコピー、人気YouTuberのサムネイルに入れる文字……などなどの、権力者による矢鱈と洗練された言葉が、急速にコモディティ化つまりゴミ化しつつある。人々にとって、洗練とは心奪われるものではなく、警戒するトリガーへ反転しつつある。

音楽とは、言葉よりもずっと細密な洗練が求められる藝術形式で、自ずと不協和音は取り除かれるし、リズムに乗らないリリックはあっという間に刈り取られて、書き換えられてしまう。

サウナで最近よく聴いているチャイコフスキーも、もとは権力者にとってのものであった。ソ連がフルシチョフ時代に始めたソ連発の世界的音楽コンクールの名称は「チャイコフスキー・コンクール」で、1957年のスプートニク打ち上げ成功の翌年に始まったこのコンクールはまさに、国民国家プロパガンダのための洗練のシンボルであったことは、疑いないだろう。

洗練とは、なべて上から下への権力の誇示であり、もう少しはっきり言えば、美しさによる命令である。生活が音楽のようであればあるほど、下々の肉袋は、権力者からのきつい厳命を受け続けていることになる。合唱が組体操のようにビルトインされた義務教育、自由を求める陳腐な量産リリックのJ-POP、音楽とリリックは、権力による身体儀礼、奴隷のリズム。冒頭の「人間の不幸の始まり」とはそういうことだろう。忠実な奴隷ほど、元気に明るく、音楽にノリノリなのである。

プロパガンダは、洗練を宿命とするものである。意表を付きながらも正しさを帯びたスローガンや、聴くものの心を奪うリリックは、他者をして自由に隷属させたい権力意思の現れであり、私達はフェイクであるかを疑うよりもまず、洗練の真意を疑うべきなのではないか。

教科書に載る美しい言葉、人の心を動かす美談、学校で教師が吹聴する誇り高きフレーズ、いまでは巨大な産業が、膨大な時間や資本を投入して、表現の洗練を極めようとしている。この洗練こそが、敵なのではないかと気づいた。

①荒くれ者が武力で制圧したものを、②エリートが正史に改竄し、③アーティストがそれを美化する。古今東西の人類はこれを繰り返してきた。明治の文士がやっていたのは結局③であるし、いまあらゆるコミュニケーション産業が追い求めているのは③である。

安い給料で、底なしの感情労働を強いるサービス業に隷属している人々に、その支配者が配布する美しい言葉は、ポエムなどと呼ばれる。

居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3451/index.html%20%20

これは2014年1月のクローズアップ現代のアーカイブだけど、あれから5年経って、洗練のテクニックはますます巧妙になってきているのではないか。

ポエム斉唱を強いるような同調圧力がかかる職場には、無駄話や、失敗の開示がない。パワポの論理構造やムダのなさばかりが競われ、権力者は己の巧言令色に酔いしれ、被支配者は心の中で舌打ちしながら「意味のサボタージュ」を徹底して、推し進めようとしている。言葉なんてどうとでもきれいごとを並べられる。信用できない。令和の令とは、巧言令色鮮なし仁の令である。