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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月2日火曜日、曇り

G20のGはグループのGだけど、もはやぜんぜんグループ感もなくて、もちろんグルーヴ感もなくて、各国スタンドプレーの場でしかない。

大阪の2025年に万博が行われる咲洲という埋立地の辺りをGoogleストリートビューでみていたら岸政彦のビニール傘の世界を思い出してしまった。

あのG20会場のどことなくディズマルな印象は、決してランドスケープから来る印象だけではなくて、もっとメタな陰鬱さを感じさせるもののような気がした。

サミットは首脳とか頂点という意味だけど、その首脳が20も30もいること自体が、現代の「ポスト政治」の混沌を物語っている。

権力の終焉ではないけど、「サミット」という頂点が現すものはピラミッドであり、頂点の下には無数の人間がぶら下がっている。無数の人間がテクノロジーを駆使してサミットを引きずり降ろす。

岸政彦の「ビニール傘」で、大阪湾岸の埋立地というトポスに描かれる人々は、この「サミット」の対極にいる底辺の人々で、「サミット」そのものが形骸化しているから、大阪の埋立地に浮き草のように住んでいる人々の目鼻すらぼやけてよくわからない。

でも本質的にはその「サミット」が、国民国家の統治をすり抜けるGAFAのようなグローバル企業に移り変わりつつあって、「ビニール傘」に出てくる人々は、国民国家と、グローバル・プラットフォーマーの双方に二重統治されているのに近い状態であって、なんとも大阪の埋立地の会場が、大阪ディズマランドに見えるのは、そのことから来る重苦しさかもしれないと考えた。

私は、そもそも夢も理想も持たないコモディティ肉袋なので、国民国家にもGAFAにもできるだけ関わりたくないと漠然と考えている。典型的な支持政党なし。もうすぐ参院選があるけれど、おそらく投票には行くと思うものの、ただ行くだけで、平気で白票を投じる類の人間である。

有権者が愚かだと思うのは、投票所に行くと、投票会場になっている小中学校の近くに、選挙ポスターが貼られていて、かなり多くの有権者が、そのポスター掲示板をじっと腕組みしながら凝視して投票行動を決めているのを見かけるからで、そんな、ポスターに刷ってある情報など、文字から写真から色まで、すべてがワンサイドの政治屋サイドに都合のよい情報なのに、それを見て、自分の投票行動を決めてしまっている。私はその光景に、絶望を感じる。

候補者が制作するポスターなんぞ120%の令色である。彼らの好んで使う言葉は、彼らが彼らのために選び取り、好き好んで使っている言葉に過ぎない。それを鵜呑みにして、或いは信じて、投票してしまう。これが民主制の限界である。

テレビ広告の言葉が、流行語にならなくなってもう20年以上経つ。「イチロ、ニッサン」とか「亭主元気で留守がいい」とか、90年代までは、広告発の言葉がそれでもまだいくつかあった。2000年代の流行語は、週刊誌やワイドショー、インターネットから生まれるようになった。

「アベノミクス」なぞという権力側の言葉を、有権者もメディアも、無防備に使う。

「適正飲酒」も、徴税側に好都合な造語だけど、アルコールに依存している人すら、考えなしに「適正飲酒」を使ってしまう。「完全分煙」という言葉も、徴税サイドの概念であって、軽々に使うべきではない。煙は決して完全には遮断できない。

カジノではなく「IR(Integrated Resort)」。「クール・ジャパン」も「プレミアム・フライデー」も「クールビズ」も、いわば「サミット」側の言語であり、軽々に使うべきではない。

「北方領土」「国際連合」なども、日本にしかない虚語である。「消費税」これもその実は「取引税」だし「人頭税」である。

「消費税」と言えば、あたかも公正に見える、当時の大蔵省がつくった「サミット側の言葉」である。

戦中に米英語が禁じられ、日本語に言い換えられたけれど、私もまた「サミット側の言語」を、ほいほい喜んで使う肉袋やその洗脳を担う勢力の言葉を敵性言語とみなし、とことん間遠にしなければならないと考えている。

私はリバタリアンなので、「サミット」的な政治権力なんぞとことんスルーしたい人間だし、ピーター・ティール的な「政治そのものからのイグジット」を希求している。

国民国家に広く遍く通用する言葉、それはつまりGoogleにおいて価値の高い言葉ということだけど、言葉のミリオンセラーなど、単なる洗脳だし、不特定多数の人間を相手に、言葉で金を稼ごうとすると、サミット側の言葉と炎上の言葉をひたすら燃料投下するクソ業になる。

このブログは、ダンバー数である150人の半分ぐらいに向かって勝手に話しかけているイメージで、だから多くの人に共感される言葉ではなくて、「PVとかクソだな」と思っている人に向けて垂れ流すだけなので、わざわざ活字流通に乗せる必要すらなく、このブログで必要十分である。

政治という農耕文明を前提とした統治ゲームからの脱出口ばかり探しているので、最近は新聞も雑誌も、テレビもラジオも、殆ど接触しなくなってしまった。いかなる政治信条にも関心がなく、「ポスト政治」の信条に興味がある。

政治以前、20000年前のホモ・サピエンスは、穢れを避け、その日の上機嫌だけを追い求めていたのではないか。私もそうやって生きていたい。

明日獲物が獲れるかどうかは、明日にならなければわからない。今日もし獲物が獲れれば、その日のうちに全部食べちゃうのであって、人間なんてそんなもんでいいのではないか。