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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月1日月曜日、曇り時々雨

ああこれ、やってもムダだな……と直観する「仕事ごっこ」「組織ごっこ」は、容赦なくバンバン棄てるし、そもそも私は昔から目標や理想を丸で持たないコモディティ人間なので、つまり単なる猿、20000年前のホモ・サピエンスなので、ムダな仕事をしなくなると、近現代的目標や理想がないからこそ、しょうもない予定しかなくなる。

ムダなことを棄てて、その浮いた時間を、崇高な何かで埋めようとしたりはしない。幸いなことに、日本企業の仕事は、ほとんどがムダなので、実際のところは、ほとんどムダな仕事のなりすましばかりで、「仕事ごっこ」「組織ごっこ」はごっそりなんにもやっていない。ムダな「仕事」をしないことに、通告も予告も要らないので、無言で、そっと手放すだけで、安定的な固定給がもらえている。

1次情報ではない仕事っぽい情報ごっこも要らないので、全部棄てている。棄てているというよりは聞いてないので最初から脳内に入ってこない。

Googleがやってることなら、マインドフルネスでも無料食堂でもなんでも正しいと信じて真似する思考と、江戸時代に中国の朱子学という超かっこいい思想哲学があるから、もののふの一兵卒もその精神に全部改築するという思考は、全くの相似形。そんなのただのカルト狂人なのでGoogleみたいなことやりませんか的な仕事ごっこは、ほとんどすべて二次情報認定の上、華麗にスルー。Googleの真似をしているだけの仕事ごっこは見分けが簡単なのでバッチコイ。

ムダな仕事をしている他者仕事の生産物の多くが、GAFAの本で読んだみたいな2次以下情報、そいつが別に集めなくてもネットにいくらでも転がっている情報なのにムダな時間をかけてそれを自前で編集した無価値なものだったり、あたかも自分の仕事のように偽装はしているが、単なるいっちょかみでしかないので、そいつがいなくても全然成立する。周到にそれらを見抜き、完全スルー。

最近思うのは、日本企業の多くが営業利益率3とか4%だったりする事業なのであれば、そんな事業最初からやらないで、不動産や投資事業だけやっていた方がよくないか? ということで、しょうもない昭和の亡霊事業を戦略もなく惰性だけでだらだら続けて、従業員が何十万人もいるクソ企業とかただのアホなのではないかと思うようになった。

例えば元日本の製造業いま香港企業が、希望退職者を募集したら、元々従業員が3000人くらいの会社で、950人くらい希望退職者が出たとこの前ニュースにあって、この会社の事業内容のこととかよくわからないけど、この会社の事業は、逆に希望退職する950人でやるのがちょうどいいのではないかと思ってしまった。この会社に残る選択をした2000人の方の首を、どんでん返しで逆に切った方が、絶対に、何もかもうまく行く。

社内というムラに、自分の元気、エッチ、謙虚を響かせるだけの仕事ごっこ、「偉い人の皆様、僕はここにいるよ」系の間接業務も、全部スルーしている。ターゲットが社内の、純粋仕事ごっこ、先月炎上の末秒殺された関西の電車中吊り広告ジャックみたいな内向きの仕事ごっこは、社内ムラ向けの仕事がSNSに漏れたので炎上した。私に言わせればこんなのは、文字の有毒ガスだけど、昔ならこんなもん何のお咎めなしで大成功ってことで終わってたはずである。

交通広告の媒体価値が急速に下がり、まともな広告主が丸で集まらないから、クレイジーな組織ごっこの企画ごっこがまかり通る。そもそもこんな事業、中長期でも短期でもネット広告に勝てるわけがなく、広告主のマーケティング予算の多くがGAFAにだだ漏れしているわけで、ローカルな電車の広告に予算投下するのは、地元の葬儀屋くらいなわけで、持続可能性なんてまったくない。それなのに「沿線の人々を言葉のチカラで元気にしたい」とか、本心で思っているところが、キモすぎてびびる。

でも、こういう仕事ごっこをもりもり推進している人は、組織の中ではだいたいの場合「やり手」で通っていることが多く、彼らの無意識にあるのは、「この企画を成功させれば、社内の耳目が集まり、立身出世できるかも」という朱子学カルト魂である。ターゲットは‪端から‬社内ムラ。

内需であったはずの宣伝販促が、いつの間にかGAFAにだだ漏れしているなかで、電車の車内広告を埋める仕事は単なる「殿戦」、つまり撤退戦でしかなく、1945年の硫黄島の戦いとおんなじなのであって、それを勘違いして、元気に、エッチに、謙虚さをアッピールしていると、そういう殿戦の最高司令官に祭り上げられてしまう。

この種の殿戦の仕事ごっこばかりなので、現代のクソサラリーマンにとっては、地雷の仕事ごっこを見極めてスルーする技術は何よりも大切なスキル。

車内広告みたいに、構造的に明らかに米国に甘い汁を吸い取られているだけなのに、そのことに無頓着のまま、勘違いしている愚かな朱子学カルトが多い。車内広告の可能性なんてゼロどころかマイナスだし、言葉のチカラで乗客を元気にする発想そのものが、明治ぽっぽ屋の不遜な勘違いであり、こういう勘違いでいまを生きている人が、いくら「忙しい」と感じても、それは尊敬どころか嘲笑される忙殺でしかない。

大人なのに、遅刻しそうになってお口いっぱいにトーストを咥えてダッシュしている人、勝率ゼロの仕事に突き落とされたのに抜擢と勘違いし、ムダな頑張りに酔いしれている人、そんな愚か者たちばかりだけど、私は私なので、そういう勘違いのお気の毒な人を、できるだけこの視野にいれることなく、毎日を生きている。

彼らのことさえ視界に入り込まなければ、夢ではなくしょうもない予定に満ち溢れていて、毎日が充実している。夢ではなく「今日はサウナに行こう」とか「あの短編集のあとがきだけ先に読もう」とか「今日は1日なので映画代が1100円だから、映画館で映画を観よう」といった、目先の予定だけあればいい。

夢なんて要らない、要るのは猿としての予定である。