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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

6月29日土曜日、曇り時々小雨

一滴も酒を飲まない「無滴の人」になってもうだいぶ経つのだけど、アルコールという安上がりなドラッグを断つと、脳と腸と肌が快くなって、まずは身体の感覚が自由になる。身体の健全性が、精神の健康にフィードバックされる。私という存在は、身体がまずあって、精神がある。ホリスティックな存在だ。

アルコール不要の身体とはつまり、個人的には①アルコールを飲み始める以前の自分へと還ることだし、社会的には②アルコールという「安価な統治のテクノロジー」の外へ出ることだし、歴史的には③農耕以前のホモ・サピエンスとしてワイルドに生きることである。

①の軸で言えば、それはタイムマシンに乗るに等しい、若返りである。アルコールの抑鬱効果から自由になるので、毎日が、心浮き立つ。酒を飲んでいた頃には老化だと勝手に解釈していた精神や肉体の不調とは、実はアルコールという薬物のネガティヴな影響に過ぎなかったのだと気づく。

②の軸は、いわば「哲学への扉」を開くことになる。

この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」で横溢させ、人間を常態として萎縮させ続けるという統治の技法がある。(酒井隆史『通天閣』)

アルコールはまさに、「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」によって、人間を常態として萎縮させ続けるための薬物である。朝なんかは、大人のくせに駆け足でどこかへ急いでいる人がいるけど、あれは急いでいるのではなく統治の技法によって急かされているだけなのである。アルコールもまた、飲みたいと思い込んでいるだけで、実は統治都合の為にホエール豚みたくアルコールを飲まされているのである。

何で社会人がアルコールをがぶ飲みさせられているかと言えば、アルコールが安価なダウナー麻薬であって、しかも依存症になるまで時間がかかるから、薬害の責任を本人に120%なすりつけられるから、便利なのである。ダウナー麻薬は、動物本来の叛逆の魂を、抜いてしまう。世界の権力者が許可する麻薬は、なべてダウナー麻薬であるのは、統治に不都合がないから。

アルコールから自由になるとは要するに、外の世界へ意識を持つことになる。人間はそもそも海水の中にある一滴の水みたいな存在だけど、アルコールから自由になると、海水の外へ自らを循環させることができるようになる。蒸発して雲になり、雨となって地に落ち、地中へと染み込むこともできる。海水の滴では得られない体験や視点を通じてこの世界をダイナミックに理解できるようになるだろう。

③の軸は、所有からの解放、物欲や支配欲からの卒業へと繋がる喜び。②と似ているけれど、③は哲学以前の猿またはホモ・サピエンスとして生きる喜びであり、それはつまり他人との因果におさらばする自由、社会の外へ出る、世捨の楽しさである。つまりエイリアンとして生きられるようになる。社会を突き放して生きられるようになる。朱子学カルトにさようなら。江戸時代なら、エイリアン即死だったけど、現代のエイリアンは死なずに、いくらでも楽しく生きられる。

農耕社会が人類にとっての最善・最適な社会ではないかもしれない。「ニューロ・マイノリティ」や「ニューロ・ダイバーシティ」と言った論考、単純に言えば、変人やマイノリティがいたからホモ・サピエンスは生き延びてきたという考え方は、人類を農耕文化の次へと拓く希望がある。

言葉や法、つまり文語に束縛される我々の不幸は、アルコールと密接に関わっているのだとすれば、猿のつもりで、人類の三大貨幣である女、マネー、言葉を間遠に生きられるようになる。酒税に更に消費税(という名の人頭税)を二重に掠め取られているのだから、アルコールをやめるとマネーも楽になる。言葉が楽になる。マネーと言葉に依存しなくなると、マネーをまんこで買おうとするメンコ屋も当然寄ってこなくなるので、オスとしての健全性も高くなる。あとアルコール不要身体になると、水がうまい。この水のうまさこそ、人間の根源的な喜びなのだと痛感する。