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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

眼中にない

2001年にWTCに突っ込んだ実行犯たちはアメリカでパイロット訓練を受けていたが、現代日本で人の群れにクルマで猛スピードで突っ込む老人たちは、昭和時代の「新三種の神器」(カー、クーラー、カラーテレビ)という朱子学カルト洗脳がまだ解けていない。

クルマを運転することが「自由」や「喜び」そして「豊かさ」だから、「権利」なのだという強い思い込みがあるから、いつまでもクルマを運転することに固執する。「権利なのだ」と信じている。底なしに愚かだからややこしい。

俺は「眼中にないことの闘い」を、毎日続けている。クルマの運転なんて「眼中にない」。あれは「権利」どころではなく、奴隷労働ではないのか。「運転(ドライブ)最高!」と言ってるメーカーほど株価が低迷している。市場は正直だから、いつまでも人間に運転させようとしている企業なんてそりゃ眼中にない。

番組の観れる/観れないが、偉い人の事情最優先のTVerっていうアプリがあるけど、「この番組観れるかな?」と思って検索したのに、なぜか観れない経験が2回あると、もう二度とこんなクソアプリ使うもんかと思う。こんなもんでわざわざテレビ観るのもかったるい。今年の3月で好きなラジオ番組がなくなって、radikoを捨てたんだけど、もう2ヶ月経っても全然困らない。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、どれもこれも「眼中にない」。

SNSが普及したばかりの2010年代最初は、1つの楽曲を無名のみんなが少しずつ踊って繋いでいく式の映像やパフォーマンスが、SNS的なものだったけど、いまではそんなマスゲームはクソなプロパガンダとしか思われなくなった。「みんなで力を合わせる」こと自体が嘘くさい、唾棄すべきものだと思われ始めている。

インターネットそのものが、人々にとって「みんなで力を合わせる」ものではなくて、むしろ「みんなをばらばらのエコーチェンバーに隔離する」ものに変容してしまった。インターネットなんて「眼中にない」。このブログも、PVなんて「眼中にない」。無料だからなんとなく読んでくれる人がいる。それだけのこと。そもそも文字で金儲けなぞ土台できない。

ボダ子

ボダ子

 

読了。救いのない「もの騙り」は不思議と、読む者には救いとなることがある。復興なぞ所詮金儲け。東日本大地震の義援金や寄付金を、俺は結局びた一文募金しなかったけど、コンクリートにばかり金が使われて、五輪に浮かれて復興が蔑ろにされている現実をみると、金を出さなかったのは大正解だった。

金と女と言は、人類の三大貨幣だが、金と女を鋳造する根源貨幣は、言である。金と女など、だから丸で「眼中にない」。