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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

他者からの評価は要らない

【要点】

  • 非対称な評価システムは、農業時代の名残
  • 他者を軽々しく評価しない
  • 他者から評価されない人間になるべき

サウナ王による「5:1:5の法則」を励行してみる。サウナに10分入ったら、水風呂は2分、休憩10分。この5:1:5のセットを3回繰り返すのが推奨みたいなので、やってみる。俺の場合、水風呂から出たら頭を上30度くらいに上げると快感の波が高くなる。

サウナに入りながら考えていたのは、「他者からの評価はいるか?」ということ。通信簿や試験結果、面接や考課などなど、我々の社会は他者からの評価ばかり。学校や会社ばかりではなく、プライベートな空間においても友人の数とか、恋人の有無、結婚相手の属性なども一種の評価だと言える。常に何らかの評価に晒されているこの状態は、健全なのだろうか。

朱子学カルト社会とは他者評価こそが神となる構造、オウム真理教の仏教カルトと完全に構造が同じ。封建制においては、他者からの不評はそのまんま死を意味したから、とにかく集団において仲間外れにならないことが最低条件だった。

しかし封建制では、単に排除されないだけでは、もし大規模な飢餓でもあれば一族郎党飢え死にしてしまう。なんとかして組織や集団のなかで、少しでも評価ランクを高めておきたい。これが立身出世欲である。そう考えれば、朱子学カルトにおける評価とは、死なない為の平素の政治闘争だったと言える。

現代においては、誰かに殺されたり、飢え死にすることはもうほとんどないのだから、評価なんて、もはや不要なのではないか。社会性がなくても、せいぜい変わり者と見られるだけで、死ぬことはない。だとすれば他者からの不評に怯える必要は、全くない。

マネー経済から「いいね」経済へなどと言われるけど、評価もまたマネーと同様に、極めて非対称性に富むものである。評価される人はどんどん評価されるのに、評価されない人は、人気者を一方的に評価するだけのゴミみたいな存在となる。

時間やお金を使ってわざわざ誰かを評価するなんてかったるい。タレントや人気者だけが有利な、アンフェア・ゲームに乗せられて、自分も他者に高く評価されたいと欲望することそのものが、人気者や金持ちによる誘導なのではないか。つまらないワンサイド・ゲーム。

サラリーマンが、上司からの評価が欲しいのは、おぼえ目出度ければ、立身出世の確率が高まるからだけど、立身出世のプラットフォームであるその会社そのものがそのうちなくなるのだとすれば、評価なんて高めても仕方なくなる。いま新卒で企業に入ってもその企業があと何年続くか、本当によくわからない。だとすれば、昭和や平成の会社員みたいに、会社という狭い世間でひたすら評価を積み上げるというゲームルールはもうアホらしくてやってられない。評価という価値の暴落である。

マネー経済から評価経済なんていうのも、実は、マネーをたくさん持っている人に都合の良い命令的な情報でしかない。俺のような名もない、しがない人間にとってベストな戦略とは、他者からの評価から完全に自由に生きることではないだろうか。

自分も他者を軽々しく評価しない。だから他者からの評価も要らない──相互に独立していれば、互いの評価なんてどうでもよいのではないか。マネー経済の次は、評価を回避して市場で課題解決をする「評価回避経済」なのではないかと思う。

2017年後半〜2018年頃のビジネス書とか自己啓発書は、他者からの評価を絶対視している言説ばかりでもはや丸で読む価値なし。他者から評価されない人間になるべきである。

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