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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

不自由を自由と勘違い(笑)

【要点】

  • マイカーは豊かさの象徴であり、運転は自由という価値と強く結びつけられた
  • 酒と車と電気は、この国の豊かさと自由のベースだと優良誤認されてきた
  • 老人による車の事故は、運転の価値が変わっていないから起きている

俺が学生の頃は、予習・復習両方ともしっかりやりましょうとよく言われたけれど、最近では予習はしなくてよいどころかむしろ、予習は「するな」と言われることが多いらしい。

予習したつもりが間違えて理解をしてしまうこともあるし、時間資源を効果のために最適配分するには、むしろ人間の忘却特性をきちんと科学的に理解したタイミングで、適切に復習することの方が、ずっと大切なようである。

昭和時代に疑うことなく当たり前だった常識が、さまざまな社会変化や科学・テクノロジーの進化によって、非常識なものへと真逆に反転していることが多い。

特に車を運転することと、酒を飲むことについては、もはやなんの価値もナシであって、あたかも未だに何か価値があることのように誤解している団塊の世代やバブル世代がまだまだたくさんいることに、俺なぞは、驚きを禁じ得ない。

車の運転について言えば、団塊の世代は、まさに彼らが青春まっただ中の1960年代半ばに、カラーテレビ、クーラー、マイカーの「新3種の神器」コマーシャリズムの洗礼を受けている。

特にマイカーは、豊かさの象徴であり、運転は自由という価値と強く結びつけられた。当時、米国のGMの完全なる模倣をした日本の自動車産業の勝利である。そしてさらに言えば車が運転できることは、女性にモテるために極めて重要なスキルだったのである。アメリカ人に一番近い日本人がモテたのだ。

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やたらとバタ臭い若い男女に「愛のスカイライン」──いまこのスローガンを読むと笑ってしまうが、当時は超絶シャレオツなコピーだったのだ。車を持っていなければ意中の女性と二人っきりの空間を作ることもできなければ、デートの口実もなかなかつくれなかった。だから彼らは未だに車の運転を豊かさや自由と強固に結びつけてしまう。

アルコールについても、酒を飲むことが、あたかも人間性に富む高尚な文化であるかのような刷り込みを大量に浴びてきたのが今の50代以上の世代である。アルコールを飲むことによって、人々のコミニュケーションが円滑になるという単なる牽強付会は未だに信じられている。

車とお酒──この2つは、昭和時代の広告「文化」の主力となる二大産業だった。この二大産業にあえてもう一つ加えようとすれば、それは広義の電気産業(原子力発電を含む重電から家電まで)である。

広告とは何か。その本質は、誘惑と脅しと巧言令色である。巧言令色とは、つまり騙しである。(車谷長吉)

俺なぞはギリギリで酒・車・電気の洗礼を受けてしまった最後のクソ世代である。昭和の残りっ屁世代。大学に入ると当たり前のように酒を飲まされたし、金さえあればもちろん車だって欲しかった。当時はカーシェアリングなんて当然ないから、車を買えない俺みたいな貧乏人は、自動的に非モテ確定のペーパードライバーだったのである。

今の老人たちが車の運転にこだわり、人身事故を引き起こしているのをみると、彼らの車を運転することの価値はほとんど変わっていないのかなと感じてしまう。こう言ってはなんだが車の運転は実は丸で自由などではなく、本当に自由なのは、運転手に偉そうに指図して、好きなところへ好きなときに移動できる後部座席に座る金持ちなのである。そして、自動運転というのは、すべての人々に金持ちの移動の自由を提供しようとするビジネスなのだ。このビジネスの巨大さは、欲望の巨大さである。これから急速に、自分で運転することが、乗馬のような道楽にどんどん変わっていくだろう。

アルコールもまた自由とは程遠い単なる安くてメジャーな原始的な麻薬に過ぎない。老人たちはいまだにお酒を素晴らしいものだと考えているからタチが悪い。自由への手段だと周到に思い込まされているものが、実は人々の自由を奪っているのだと言うことに、そろそろ気づくべきである。

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