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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

風化ではなくフラット化

【要点】

  • 「いま・ここ・わたし」にしか関心が持てないフラット化
  • いまではない時制の出来事などどうでもいい
  • フラット化こそが朱子学カルトをぶっ壊す

「カメラを止めるな!」がこの前金曜ロードショーでもうやってて速すぎ!  と思ったけど、劇場で観た俺としてはたとえタダでももう一回観たいとは全然思えずスルー。

確かあの映画を六本木ヒルズで観た時も、となりのクソ肉袋女が上映中にスマホをチェックし始めて、鑑賞気分台無しとなったのを思い出した。映画館はもう強制的に電波カットしてくんねえかな。

俺の場合、過去一度観た映画をもう一回観ることはほぼない。映画だけじゃなく書籍もおんなじ。時々途中まで観て既視感を感じると、もうその場で観ることをやめてしまう。なんというか、過去のことなんてどうでもいいのだ。だからAmazonとかNetflixも、観るのはオリジナル作品か見逃した準新作ばかり。2000年代の映画でさえ古い!と思ってみないことが多い。

俺は元々その傾向が強いのだけど、この傾向(過去に重きを置かない傾向)は、歳をとるにつれてどんどん顕著になってきている気がする。

今日は311だけど、この前のNHKスペシャルで東北の旅館や水産加工業が軒並み行き詰まっている様子を見て、考えさせられた。震災後しばらくは「復興の象徴」として賑わったそうなのだが、時間が経つにつれてどんどん客足が減ったとのこと。

旅行って、国内外に関わらず結構なお金を払うので、何というか前向きに、元気になれないコンテンツは元々避けるものである。俺が子どもの頃、父親が社員旅行で沖縄から帰ってきて、「戦争の跡があちこちにあってぜんぜん楽しくなかった」と言っていたのだが、一般人ど真ん中の思いとはこんなもので、津波の追体験をするような旅行は、どマス大衆には正直、重たすぎるのだろう。

こういう大きな災害はやがてフォーマット化して「決して風化させてはならない」なぞ、レッツノートのトリテキ専門新聞記者は毎年毎年ほとんどおんなじことしか言わないのだけれど、本質として指摘しなければならないのは、いま人類に起きているメガトレンドである「フラット化」は、「風化」とは関係ないですよということである。

風化とは「ある出来事の生々しい記憶や印象が年月を経るに従い次第に薄れていくこと」つまり自然忘却である。

これに対して今起きていることは、とにかく「いま・ここ・わたし」にしか関心が持てないということで、これをフラット化と言う。忘却ではなく等価値化である。

つまり311だろうと昨日食ったランチだろうと過去という意味では等価になりつつある。いまではない時制の災害など昨日のランチと同じこと、つまりどうでもいいのである。

震災から8年も経ってるのにまだ避難生活している人が50000人もいて、確かに日本人は酷薄なクソ民族だけど、そういうクソな民族性に輪をかけて、人類にいま起きているフラット化の影響がでかいのだろう。権力が終焉するのもフラット化だけれど、過去の重要事項が重要ではないあらゆることと同じになるのもまたフラット化なのである。上下も左右も今昔もフラットになってしまった現代、もし震災の記憶が再生されるとすれば、震災に現在価値が生じる時だけである。「いだてん」という大河ドラマの視聴率が低調らしいけど、そりゃそうだ。大衆にしてみれば1964年のことなど知ったことではない。観ているのは「いま・ここ・わたし」の薄い生真面目なひとだけだろう。

2011年にはこんなフラット化は丸で俺は想像できなかった。フラット化こそが朱子学カルトをぶっ壊す。

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