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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

自由に考えることが生きること

【要点】

  • アルコールなんてまずいもの、昔は好き好んで飲んでいたなあ
  • 酒を飲まなくなって、人生が連続する線のように続いていく感覚
  • 考えごとを断続的に続けることこそ、人生

出張先で会食してようやっとホテルに戻る。つまらない人間との会食。これももちろん、俺の会計簿のなかでは、労働時間つまり請求金額にカウントしている。昼間どんなにまともな人でも、酒を飲むと声が大きくなったり、バカになるので付き合うのが辛い。大袈裟に言えばこれは地獄のよう。

最初の乾杯はクライアントの手前、ビールとかスパークリングワインをかたちだけ手にするんだけど、唇に当たるか当たらないかギリギリのところで止まる。あとはウーロン茶を水で割ったウィスキー風の液体を飲んでいる。

アルコールなんてよくこんなまずいもの、昔は好き好んで飲んでいたなと舌を巻く。消毒や燃焼に使うべきアルコールに飲用するメリットなんぞひとつもないので、もはや酒なんて一滴も呑みたくない。飲んでいた頃に後戻りすることは、もうきっとないだろうなと思う。

毎晩のように潰れるまで飲んでいる人は、酒を飲むたびに薬物で気絶しているので、その思考が寸断され、人生に実りがない。酒を飲まなくなって、人生が連続する線のように続いていく感覚を、持つことができるようになった。考えごとが続いていく。あるところで止めた思考も、かなり自由に再開することができる。

俺の場合、あるところでストップした考えごとやもの思いを気ままに再起動してみると、思わぬ方向にアイデアが展開したり、それまで見えていなかった答えがひらめいたりするから不思議だ。考えごとを断続的に続けることこそ、人生ではないかと思う。「よし、考えよう」と思うことなく、気づいていたら考えていて、何かを得られた時に喜びを感じる。

アルコールをやめて、リニアな世界観に生きられるようになってから、歩くことが楽しみになった。歩きはじめると、視覚が移ろい、全身の動きとともに思考が動きはじめる。最近は歩きながら独り放談する。考えていることを口に出して、それをICレコーダで録音する。昔、村上龍が小説を書く過程をワープロ画面を録画することで保存していたけれど、歩きながら気ままに口に出す「意識の流れ」は、その音源を後から文字に起こしてみると、これが本当に自分の話したことなのか?  と驚くことがある。

当たり前だけど、書くよりも話す方が負荷はかからない。話すことは40万年の歴史があるけど、書くことはせいぜい2万年程度でしかない。つまり人類は、読み書きよりも聴き話しによってサバイヴしてきたのであり、スピードとコストとアイデアのバランスが良いのは、読み書きよりも聴き話しである。

机の前に無理やり座って書き言葉を生産するよりも、散歩しながら、歩きながら、話し言葉を生産して、その話し言葉を出来るだけ自動で書き言葉に変換した方が、圧倒的にコストもスピードも優れている。

飲み会がかったるいのは、俺が酔っ払い相手に話している言葉には、ほとんど価値がないからで、この徒労感は本当に辛い。飲み会がない社会こそ、俺の理想とする社会だけれど、まだあともう少し、しょうもない娑婆で耐えなければならない。