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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

自由ではなく劣化

【要点】

  • アルコールなんて、自由でもなんでもない
  • 飲酒とはアルコールという原始的テクノロジーによる野獣化、劣化
  • 15年後にはアルコールがほとんど飲まれていない、なんてことすら有り得る

早大スーフリ事件「和田サン」懺悔録 現在は別名、15年の“塀の中”生活を明かす(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

スーパーフリー、つまり超自由。2003年の犯罪からもう15年以上も経ったのか。たかだか15年で、社会は完全に塗り替えられてしまっている。ということは、15年後もまた現在とは何もかも変わっているのかもしれない。どんな変化があってもなんとでもなるように生きなければならない。

このスーフリ事件はアルコールの力を悪用した昏睡性犯罪だった。インターネットはPCのもので、つまりモテないオタクのものであり、モテる男は街に繰り出すのが普通のことだった。街にまだソーシャルネットワークの役割が残っていたのだ。ガラケーとインターネットは別物であり、スマホのない時代。まだサークルとかアルコールなぞという「昭和のソーシャルネットワーク」が力を持っていた時代だったのである。

記事によると主犯として15年服役のあと娑婆に出た彼は「スマホに驚いた」と言っている。あの当時スマホがあればスーフリのような組織犯罪は、起きなかったかもしれない。オウム真理教の一連の事件もスマホのない時代の事件。グル型の組織犯罪はデジタルなソーシャルネットワークの普及によって起きにくくなっているのだろうか。

彼らが「スーパーフリー」だと思っていたものは、実は自由ではなくただの劣化だった。人間としての劣化、要はアルコールなんて、自由でもなんでもないということである。自由と真逆だったゆえに彼は15年も服役した。飲酒とは要は、アルコールという原始的テクノロジーによる野獣化、劣化でしかない。アルコールによってなぞ、実は人と人は繋がらないのではないか。自我を見失って、その瞬間は目と目があって、あたかも繋がることが出来たとしても、忘我と忘我の接続は結句、無と無のすれ違いでしかない。

アルコールによって集団トランスして法の外へ出る行為そのものから俺は自由でありたいので、酒をすぱっとやめることにした。アルコールをやめて気づくのは、酔いとは単に劣化でしかないということで、飲酒とは人間としての尊厳を少しずつ手放していくことなのだということ。

この真実に気づいた人からアルコールをやめていく。この流れは加速こそすれ衰えることはないだろう。15年後にはアルコールがほとんど飲まれていない、なんてことすら有り得る。人間を劣化させるものが市場から駆逐され、嘘が突き通せなくなる。最近のビール或いはビール系飲料のCMは、ビールというアルコールの社会的価値を訴求するコンテクストがほとんどなくなっており、ただひたすらタレントがごくごく飲んで「おいしい!」と破顔するだけになりつつある。

これは要するにビールというアルコールが、社会的価値を喪失しつつあることの証拠である。

アルコールはスーパーフリーなどではなく、単なるスーパー朱子学カルトでしかない。