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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

サウナでいろいろ考える

【要点】

  • 当時のグローバル・スタンダードは朱子学であったから、戦闘禁止の武士は熱心に朱子学を学んだ。 
  • やがてカルト的な原理主義に走る者も現れる。 
  • 武士が明治になって軍人と官僚となり、朱子学カルトの思考のまま、もうなかったはずの「辺境」(朝鮮や満洲)が目の前に出現する。 

プールでちんたら泳ぐ。25メートルのプールを20往復。からのサウナ。程よい疲労感の心地よさ──。酒をやめてからは休日がまるまる自由になって、本当に嬉しい。iPhone Xで自炊本読みながら一時間風呂に入り、うまいものを食い、プールで泳ぐ。泳ぎながら江戸時代の儒学に関する講義を聴く。朱子学カルトはなぜ生まれたのか?

江戸時代とは①戦闘の停止②辺境の消滅③成長の禁止であった。つまり①武士なのに戦争しない②新しい領地もないから太っ腹のご褒美もなし③長男以外の武士階級は名ばかりサムライ、プータロー。

武士階級なのに長男ではない江戸時代の人間は、「俺って何なの?」と、極度のアイデンティティ・クライシスを抱え込む。つまり哲学への目覚めである。当時のグローバル・スタンダードは朱子学であったから、彼らは熱心に朱子学を学んだ。これを学べば道が拓けるとすがったのである。

しかし朱子学とは、中国の強大な中央集権システムと貴族不在のフラットな実力主義を止揚させるかなりハイブローな理論である。つまりそこに書いてあることは、日本の封建制のはるかに先を行っているのであった。

封建制度によって誕生した身分である武士がそんなものを読んでも、おそらくカタルシスはなかっただろう。しかしそれをなんとかして自分の血肉にしようとする。武士として身分は高くなくとも「国士」であることが肯定された。

やがてカルト的な原理主義に走る者も現れる。文字通り漢字を解読することで儒教の本質を読もうとするテキスト・クリティークというアプローチが発明される。この手法を儒学だけでなく古事記や日本書紀にも応用して国学が生まれる。オランダ語に適用すれば蘭学になった。

日本人は、テキストを科学的に読む力があったから、明治維新からの驚くべき成長があった。清国は完全にノーマークであった島国の日本が、一夜城の如く明治維新を成し遂げて西洋列強に仲間入りしたことに強い衝撃を受けただろう。

戦争を禁じられた武士が、決して増えることのないリソース(土地やコメ)の為に小競り合いしながら、オウム真理教と大差のない中央集権的ヒエラルキーのなかで汲々と忖度競争をする牽強付会な理論として朱子学は利用されたのである。本来はなんの関係もない理論である。北朝鮮の「主体思想」とほとんど同類。

武士が明治になって軍人と官僚となり、朱子学カルトの思考のまま、もうなかったはずの「辺境」(朝鮮や満洲)が目の前に出現する。たまたま弱っていた清国やロシアに「武士道」のまんま勝ってしまい、日本はやがて同時に米中(ソ)と全面戦争をするという無謀な戦争に突入する。

原爆が落とされても、天皇と武士は生き残った。領土という成長リソースはなくなったが、今度は工業化という新たな辺境が現れた。朱子学カルトの政官財は、朱子学カルト軍国システムを経済成長に応用する。

日本は、中世の身分制度を引きずったまま少なくとも1990年代半ばまでは朱子学カルトで400年近く生きてきてしまった。そんなことを考えながらサウナにゆっくり篭った。