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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

友愛思想のおしまい

会費「1人6千円」に絶句… 飲み会で表面化する収入格差 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

心が果てしなくいたむ無限哀愁記事。朱子学カルト炸裂。俺のいる会社はこれよりまだ少しはまともで、こういう半強制の送別会をやる時は、非正規の人はタダが常識。貰ってる給料に差があるからだ。

しかし俺が主張するのはもっとドラスティックで、そもそも会社はアルコール付きの儀礼をゼロにせよである。どうしてもやりたいのなら、参加しない自由を認めて、なおかつ主催者が全額負担するべきである。夜ではなく昼飯にするとか、ティーパーティにするとか、いくらでも工夫できる。アルコールがなければ物足りないとか、酔わないと盛り上がらないという発想自体がアルコール依存である。

おっさんのおっさんによる儀礼のためのしょうもない飲み会がもはやなぜ全く要らないかについて、今日はその論理背景を考察したい。ひとことで言えば、「もう友愛思想は世界トレンドとして要りませんよ」ということに尽きる。

大前提として、組織の構成員が団結すること、つまり友愛という共同幻想は、もともと当たり前でもなんでもない。

友愛とは、皆が他者を自分の本当の兄弟のように愛する社会秩序である、と定義を試みることができる。 (…中略…) 友愛は文明の目標なのであり、元の生まれたままの状態ではないのである。──ジャック・アタリ   ウィキペディア「友愛」より

人々が「友愛に基づく共同体」を良いことと考えるようになったのは、フランス革命以降だと思う。フランスの第三身分つまりパンピーが王様をぶっ殺して、権力を掌握してからである。

パンピーはなんといっても数がめちゃめちゃ多い。こんなに頭数の多い「支配層」がまとまる為に、フランス国民という共同幻想が必要になった。フランスにはフランスだけの歴史や文化、価値観がある、という物語のねつ造である。

絶対王政を市民革命で終わらせた西欧人はきっと「やばい、一線を越えてしまった。これから血みどろの争いになる。まずい」と考えた。そして「自由・平等・友愛」という虚構を発明したのである。

この虚構が徐々に国民国家を形づくり、人々は友愛どころか、二度の世界大戦へと繋がっていく。友愛を突き詰めた結果、出て来たのはアーリア人の純血という友愛を謳うナチスであった。世界規模の総力戦となったのである。友愛が殺戮に帰結するということは、現代におけるインターネットが友愛の分断を強めていることと完全なる相似形である。

つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体

第二次世界大戦後は、大量殺戮の深い反省をもとにしながら、友愛の物語は否定されることなく温存された。資本家によって今度は工業化という金儲けに利用されたのだ。工業は総力戦のダウンサイジングであり、多数の動員が必要である。企業の利益を巨大化するために友愛思想がまた利用された。大量生産のためには同じ時間に大人数が団結する必要がある。ナショナリズムと愛社精神は完全に同根である。

そしていま工業化が終わり、大規模なヒエラルキーはもういらなくなった。フランス革命からパックスアメリカーナまでの連続的な価値観が、いま非連続なものに転調して変わりつつある。だから俺は、友愛思想をまだ前提としない18世紀の思想や、市民革命を経ていない中国の思想をこれからの生き方の参考にしていく。

友愛思想そのものが古いので、おしまいになる。

パリ凱旋門が黄色いベスト運動デモ隊によって占拠される - YouTube