カルロス・ゴーンと完全に同じだと思うのは、16~17世紀の日本に宣教師としてやってきたポルトガル人やスペイン人である。宣教師はカルロス・ゴーンと同じように、最初は救世主と崇められ、後に苛烈な弾圧を受けて死刑に処される。つまり今の日本はまだ中世である。
日産がルノーとうまく手切れできても、またダメな日産に戻るだけかもしれない。日産って戦争前は有力な軍産複合体だった訳で、フランスに呑み込まれることを避けることは、日本の明治政府残党の政財官にとっての利害一致である。これは単なる退行現象と見た。日本の製造業は縮小均衡に向かってもはや歯止めが効かない状況で、今回の茶番はカリスマの不正行為に乗じて日産を日本に取り戻す政治的デモンストレーションというのが実態だろう。工員や販売員を外人ゴーンの名目でぶった切り、最後には外人ゴーンもぶった切る。朱子学カルトの闇。
日本は古色蒼然としたソ連や中共の国営企業みたいな政官財学が跳梁跋扈→ようやく衰退、そのスパゲティ状の法規制や醜い政治闘争や内ゲバで全く身動きが取れない。
ちなみにマツダは、フォードと別れて再び日本の会社になってから、またダメな会社に戻った気がする。マーケティング度外視で、スポーツカーをつくるだけの会社になったけど、実際財務指標も芳しくないし、トランプ政策によって生産のメキシコ偏重が裏目に出る恐れもある。
マツダのように「運転」にこだわること自体、俺に言わせればちゃんちゃらおかしなことで、「運転」が楽しいなんていうのは単なるプロパガンダに過ぎない。
かつて馬車の時代には操り手と乗り手が別々だったものを、自動車の時代に独りでやらせる為には、運転というレイバーワークを自分でやらなければならず、運転を素晴らしい活動に演出しなければならなかった。しかし冷静に考えれば本当の自由とは、運転手に指図して行きたい場所に行ける後部座席の人間であって運転手ではない。
運転楽しい!最高!って言われても、自動運転とか言われているのにそんなわけないだろとみんなうすうす思っているわけで、顧客のニーズを大きく読み間違えている。合理的な戦略を構想できないのは彼らに限ったことではなく、日本の政財官学全てがオワコン化しつつある。
ようやっと諦めたサマータイムの導入にせよ、軽減税率だのキャッシュレスのポイントバックだのといった複雑な消費税増税にせよ、外国人労働者の受け入れにせよ、全てに共通するのは、合理的な戦略を考える力の劣化である。
これだけコンピュータの普及した社会で期間限定でサマータイムを導入する負のコストなんて少し考えればわかるはずだし、複雑な消費税率も結局はオペレーションが煩雑になり生産性を下げてしまう。公平性が高いはずの消費税が不公正になることは、国家そのものが不公正であることの証左でしかない。ロボティクスやAIの導入が遅れているが故に人不足なのであって、人手が足りないという認識自体相当寝惚けた戯言である。
あらゆるレイヤーで日本はなべて戦略音痴であって、俺に言わせれば日本は脳死状態であり、日本の脳死を加速しているのがアルコールである。
戦略の3条件とは、①面白さ②良心③合理性であり、これが一つでもかけるとうまくいかない。日産にはこれ三つともぜんぜんなくて、大丈夫なのかなと心配になるけどまあ俺自身はせいぜいカーシェアで渋々日産車に乗るくらいで、本当にこんな魯鈍な企業どうでもいいことである。
政官財学どこを切っても金太郎飴のようにダメで思わず笑ってしまうけど、まあなるようにしかならないだろう。10年後トヨタですらどうなってるかわからない。レクサスなんかも中国資本になってたりして。この激変期をリアルにウォッチ出来るのは面白い。