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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

やめてやる やめたいじゃない もうやめている

「やめてやる」「やめたい」じゃない  「もうやめている」

これはあらゆるものごとをいさぎよくやめる時に、とても大切な心構えである。

「ああ本当はやめたい」とか「いつか必ずやめてやる」と内心思いながら結局やめられない状態こそ、時間の浪費であり、なおかつ心身へのボディブロー的な害悪なのである。

「やめたい」「やめてやる」という「未病」を引きづったまま今を生きるのは思いの外、害悪なのである。経済学でいうサンクコスト。やめたいのにやめられないで続ける酒やタバコなどは、典型的である。

しかしもっと本質的には「やめたい」と実は思っていない可能性が高い。アルコールやニコチンなしではつまらないし、どこか寂しい。アルコールやニコチンなしの人生なんて味気なくて生きられないと、本当は思い込んでいるのである。

未練がましくぶら下がるのではなくきっぱりとした「もうやめている」という境地こそが、あたらしい人生を切り開くきっかけになるのである。俺は例えば、社会人という生き方を「もうとっくにやめている」し、朱子学カルトサラリーマンについても「事実上やめている」と信じている。ムダだし毒だからである。

「やめたい」「やめてやる」と思っているのに続けている状態は超絶ダサいし、「やめたいのにやめられない」状態は、あらゆる意思決定を中途半端なものにする。「もうやめている」と信じていれば、選択が濁ることはない。戦略とは棄てることなので、棄てられない状態は、戦略の宙吊り、停止を意味する。

更に言えば、「やめたい」「やめてやる」を抱えたまま生きるのは何をやめられないにせよ超絶苦痛で、時間の経過がとても遅く感じるものである。会社をいつかやめてやろうと思いながら定年まで居座るのは辛いだけであって、もうやめていると思い切ることで始めて、戦略的に生きられるのである。

アルコールをやめている人が、「一日一日麻薬をやめることの積み重ね」と言うけれど、それは実のところ「やめたい」「やめてやる」の心理と隣り合わせだ。

今日一日は「やめてやる」心理はとっても辛いのではないか。スリップに怯えて生きるのではなく、完全に過去のものにしてしまう方が、ぜんぜん楽である。

私はかつてサラリーマンであったが、いまはもうサラリーマンをやめている。サラリーマンをやめているので、酒も要らないから、やめてしまった。それだけのことである。酒なんてものはサラリーマンの飲みものでしかなく、サラリーマンなんていう鍵の壊れた檻にいつまでも居続けようとするから酒を求めてしまう。

会社から斬首されるまでは会社員という身分はひたすらひっぱり続ける。固定給をわざわざこちらから放棄する理由がないからである。インターネットの普及のお陰で、相互監視や身体拘束、時間拘束もかなり緩くなってきた。自由を取るか、会社員の安定を取るか?みたいなオルタナティブはすでに対立概念ではない。自由も安定も追求できてしまう可能性が出てきた面白い時代である。

「やめてやる  やめたいじゃない  もうやめている」

このマインドセットを持って生きていると、現代の変化の時代を楽しむことが出来ると思うのだがどうだろう。