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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

Together and alone

暇に任せて図書館で『文藝春秋』12月号の五木寛之による寄稿文を読む。記事の高齢化(団塊化)が進んでいて、自腹で買う気がしない。

【特集】「孤独」のすゝめ 人生百年時代の「極上の処方箋」

五木寛之 「ひとりで死ぬこと」の幸福論

(『文藝春秋』十二月号)

「人生百年時代」と最近よく言われるけど、行政やメディアや朱子学カルト企業が嬉々としてこの言葉を使っているところをみると、プロパガンダである。年金支給開始を後ろ倒ししたい、シニアに視聴してほしい、シニアでも金儲けしたい……この思惑あっての「人生百年時代」なのである。

この文で五木寛之の引用していたTogether and aloneは、スペインの思想家、ホセ・オルテガ・イ・ガゼットの言葉とのこと。他者と調和しながら、孤独でもいること。詰まる所、孤独と調和というのは矛盾ではなく、孤独を楽しむためには調和がなければいけないし、調和を楽しむためには、孤独が必要なのだ。対立的なものではなく、相互依存的なものである。

しかし日本人は朱子学カルトによって、孤独か調和かの二者択一が、あたかも当たり前のように組み込まれている。100%の同調しか認めない。同調なければ無縁という罰を与える。農業時代には孤独というものが死を招くものと忌み嫌われていたから、多くの人は孤独を恐れひたすら同調120%だった。

でももはや朱子学カルトを拒絶してもぜんぜん生きていける時代なので、Together とAloneのいいとこ取りをしていけば全く問題なし。

第二の農業である工業化が終わって、もはや孤独は恐くもなんともない。Togerher and aloneで生きていけばOK。この言葉を聞いて思い出したのは、私淑する車谷長吉の「贋世捨人」である。

車谷は西行に憧れていた。西行もまた完全なる世捨ではなかった。世俗の欲望を完全に捨てなかったどころか、相当なやり手だったと言われる。いつの時代も、出家などして文字通りの世捨をコンプリートするのは辛すぎる。だから人間は、贋世捨人で良いのだ。

Together and aloneの思想や、贋世捨人という有り様において重きを置かれているのが、孤独である。封建主義の日本は孤独を良くないものとプロパガンダしてきた。「人生百年時代」も老人まで歯車に組み込もうとする意図を感じる。いじめとは、調和しない誰かを孤立させて制裁を加える懲罰である。NHKなどでは無縁や孤独がとてつもなく恐ろしいこととして問題視される番組がたくさんつくられる。

問題は、誰とTogether するのかである。日本という国民国家という大きなTogetherness もあれば、家族というTogetherness もある、会社なんていうTogetherness もかつてはあった。しかし大きなTogetherness はもうほとんどリアリティがない。Aloneと対にするTogether は、そんなに大きな人数でなくてよいのではないか。

俺の場合はいまのところ宗教的なTogether もまったく興味がないし、調和の相手はごくごく限られる。それでいいのだ。

大隠は朝市に隠れ小隠は巌藪に隠る(王康珉)