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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

エコーチェンバー現象考

人間の視野や世界を広げてくれると考えられていたインターネットは、逆に視野や世界を限定したり、閉鎖したりする装置になりつつある。いわゆる「エコーチェンバー現象」である。エコーチェンバーとは、もともとは音楽録音用の残響室のことである。

インターネットという「遍在」のための道具が、「偏在」のための道具に変質している。自分にとって好都合な情報しか許さない情報空間を、SNSでは簡単につくることができる。

しかしながら、エコーチェンバー現象なるものは別にインターネットに限られたことではない。最近の地上波テレビなどはかなり重度のエコーチェンバーだろう。情報の送り手サラリーマンがとにかく誰にも怒られずに視聴率だけが高くなる方法をひたすら考え続けていて、その結果が壮大なエコーチェンバーになっている。

アルコールの介在する人間関係、いわゆる呑みュニケーションも、底なしに無益でありながら極めて強力なエコーチェンバーである。特にアルコールを飲むために頻繁に集まる人間関係は、本質的にはアルコールという麻薬を正当化する虚偽虚構(快楽目的を転嫁する理由)なのだが、アルコールを渇望する本能があまりにも強力過ぎて、ある種の共同幻想を作り上げてしまう。会社の飲み仲間がよく特定上司や同僚の悪口をひたすら吐き続けるのは典型例である。共通敵をつくることで友の感覚、仲間意識をつくる。

優れた飲み屋のマスターやキャバクラ嬢も、太客との強いエコーチェンバーを構築するのが巧みである。共通の嫌いな奴らや敵をつくりだし、共に彼らに立ち向かう構図を上手につくりだして、何遍も店に通わせて、マネタイズを最大化するのが上手い。常連にしか分からないルールをつくり新参者を排除して、常連を優遇するような飲み屋もたくさんある。

さらに言えば(これは異論があるかもしれないが)禁酒会のような脱ドラッグの自助組織もかなり強いエコーチェンバーである。

「お酒をやめることはとてもむつかしく、我々は困難に立ち向かう戦士たちなのだ」というシンプルで強い虚構がつくられる。しかし強い意思で一日また一日と酒を自分に禁じて生きていくことはいつまで経っても不幸なことで、アルコールにはそんな価値、本来は1ミリもないのではないかと思う。

「アルコール依存症は一生治らない病気である」といったマントラそのものが、強い意思でドラッグを克服しようとする集団による洗脳やエコーチェンバーなのではないかとさえ思ってしまう。

『禁酒セラピー』に、

人を殺すこともできる毒物に依存していると感じている人が人生を楽しめるはずはありません。

という文章があるけれどまさにその通りで、意思で無理矢理酒を止めようとしている人は、心のどこかで、アルコールをポジティブに捉えており、アルコールを強く禁じ合う人間関係もまた一種のエコーチェンバーになっているのではないか。

俺はもう仮に酒を酒と知らずに口にしても大騒ぎすることなく、特に吐き出したりもせず、次の瞬間から引き続き自ら飲まない人生をのうのうと続けられる。飲んだら最後、また依存症に逆戻りと、いうステレオタイプの恐れを全く持たないのである。

ゴミは捨てたほうがいいし、毒は入れない方がいい、単にそれだけのことではないのか。アルコールの魔性を少しでも評価しているから苦しいのである。無理して禁酒するつらみが増幅する断酒会、禁酒会には、まったく参加したいとは思わない。