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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

ゼロ・トレランスのススメ

昨日フランスのアルコール規制法について書いたけれど、言いたいことは要するに、日本っていう国では盲目的に政府や企業に頼っていると、エリートの損得や出世のためにじゃんじゃん酒を飲まされてアルコール依存症になって早く死ぬよ、ということな訳で、この国の飲酒行政は、組織ぐるみの未必の故意である。

みひつのこい【未必の故意】
《連語》行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図したり希望したりしたわけではないまま、その行為からその事実が起こるかも知れないと思いながら、そうなっても仕方がないと、あえてその危険をおかして行為する心理状態。

私なりにアルコールをやめるための心構えを改めて書いておきたい。極めてシンプルだ。アルコールをやめる方法はただひとつ。

「アルコールにはメリットなんてひとつもない」これを自分のインテリジェンスを総動員して心底ハラオチさせること、これに尽きるのである。このことが僅かでも納得出来ないと、仮に一定期間禁酒、或いは一生禁酒できたとしても毎秒がすごく辛い。

アルコールに限らず、朱子学カルト走狗にありがちな思考回路は、「なにごともaとbの2面性があるのだ」という思い込みである。こうして両論併記にとりあえずしておけば、後でなんとでも言い直せるし巻き返せると思っている。しかしこのお馴染みの世界観でことアルコールという魔物の功罪を分析してしまうとうまくいかないのである。

アルコールを二つに分ける時、その最初の分岐点を決して「功」と「罪」にしてはならない。

アルコールは、まず「害」と「悪」に分けるのである。アルコールに「功」なんて‪端から‬ないのだ。生物学や化学への無知が人類をして飲酒を肯定しただけで、近い将来、アルコールはタバコと同じ道を辿ることになる。要するに、アルコールは単なる人類の過ちである。

この最初の分岐点を誤り、酒をごく僅かにでも肯定してしまうと、次にあげる二つのよくない感情が心の中に台頭してきて、日々酒を飲まないことに、物凄い忍耐力が必要になる。

①つめは、慢性的に襲う「物足りない気持ち」である。人生が「いじいじ」「うじうじ 」「もじもじ 」「もたもた」する。つまりいつかはやってくる我慢の限界に向かって少しずつ、忍耐というネガティヴな感情が降り積もるのである。これは掛け値なしに地獄である。終身刑のストレスと言い換えてもよい。

②つめのよくない感情は「機会損失感」である。必死にアルコールを我慢している間に、自分以外のみんなが楽しんでいるとか、お酒の場に自分がいないことで、出世や評価の機会を逸していると考えることである。

これは、アルコールが多少なりとも人間関係にポジティブな影響を与えるものだとどこかで評価していることから湧いてくるバイアスである。

本当に自由で独立している人間は、ディナーパーティーの招待を理由をつけずに断ることができる人間である。

アルコールには良い点、利点、他では得られない効果があるという「肯定感」を完全に棄てることができないと、「①不満」と「②機会損失感」という不幸な気持ちに人生を支配されてしまう。「①不満」や「②機会損失感」を一生抱えて生きるくらいなら、アルコールを好きなように飲んではやく死んでしまったほうがマシだと考えるようになる。これがスリップである。

アルコールをやめられない唯一かつ最大の理由とは、とどのつまりアルコールという麻薬を心の底から完全否定できないことによるものである。アルコールという物質に対する徹底的な非寛容(ゼロ・トレランス)の精神を、ロジック、知性、感情をフル稼働して育て、貫くこと。

これができれば、スリップなどしなくなるし、仮にアルコールを再び口にしても、ごく少量を口中に取り込むだけで、難なく飲用を再度中止できるはずである。