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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

長幼の序はますます意味不明に

先日駅前で見知らぬ人に突然声をかけられた。

何かと思ったら、老女が折り畳み傘を開きたいのだが、フックにうまく止まらず傘が閉じてしまい困っているのだという。仕方ないので、その傘を何回か開閉してやっとこ開いたまんまにすることができたので、老女に彼女のその傘を手渡すと、老人は傘を受け取ると何も言わずに、その場を立ち去ろうとする。

私は、歩き出すその老女の背中に大声で「ちょっと、御礼くらい言ったらどうなんですか」と言った。

団塊世代は、特にふざけた老害男女が多い。妙に偉そうだったり、非常識だったり、とにかく量が多いので悪目立ちする。私は偏狭で不寛容な人間なので、必ず自分の意思は伝えることにしている。

私には、長幼の序とか敬老の心が全くない。そもそも老人を敬うという常識が、現金や郵便と同じで、もう一切要らないと考えている。

大昔は、人間の脳が今よりずっと大きな役割を担っていた。だからデータベースとして、老人の脳は、有用だったのだろう。

しかしいまなら差し詰め、そんなものYahoo!知恵袋や検索で十分である。

敬老とは、老人の記憶や価値判断能力を組織や社会維持の重要なリソースと考えていた過去の遺物ではないだろうか。

日本のクソ会社も、冷戦期においては老人の脳味噌が有用だったのだろう。彼らに地位や権限を与え崇めていれば、なんとなく役に立ちそうな雰囲気があった。

しかし現代においては、老いは単なる害、つまり老害でしかなく、AIやコンピュータがあれば、彼らの記憶や経験、知恵は丸で不要になってきている。ごく限られた古い企業ではまだ長幼の序がカタチだけ保たれているけれど、本心としてはとっとと消え失せろや、と周りは思っているはず。

朱子学カルトの年功序列や長幼の序はあっという間に全然機能しなくなっている。老人に取ってつけたような「価値」を割り振らなくてよくなった。ほんと、いい世の中だ。