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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

穢れたくない

穢れとはもともと、気(け)が枯れる、つまり生命パワーが落ちるという意味で、日本人は女の出産や生理を穢れと考えてきた。でもそれは土人の時代のこと。

いまだにそんな因習を、伝統と勘違いしているアフォな日本相撲協会は本当にロクでもない。その時のyoutube見れば、急病人救護であることは誰の目にも明らかで、あの混乱の中で女人禁制アナウンスを出来る心理は一種の精神異常である。

土俵の女人禁制なぞ、縮小均衡の出版社がやけに拘る文字の縦書きと同じで、単なるアナクロニズム、非合理でしかない。

私にとっての穢れは明確な合理である。生真面目な朱子学カルト社会人と交わることこそが身の毛もよだつ穢れなのである。例えば就活生との面談は心底、「気枯れる」のでひたすら避けている。新卒一括採用もまた古びた洗脳システムに過ぎない。

社会人との儀礼や会食も穢れる。酔った社会人と何時間も同じ空気を吸って交わると、瀕死のレベルまで気が枯れてしまう。面白くもなんともないクソバブルのご高説を聞かされた挙句、やたら明るく元気を強制され、それだけでは済まされず、ちょっぴりエッチな同調すら強いられ、そのくせ媚びへつらって無能や無力を演ずるなんて、お歯黒並みの奇習である。

そもそもアルコールを嫌いになった私としては、アルコールが体内に入ることそのものがもはや堪え難い穢れである。酒臭い終電間際の満員電車なんぞも穢れそのもの。

相撲取りは女人禁制を死守するくらいなら、酒を鯨飲する穢れをこそやめるべきだろう。相撲が能のように、大衆にとっては単なる不気味な習わしになる日も近い。