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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

言葉は作品を越えない

最近美術館や博物館に行ってもキュレーターによる解説文を殆ど読まなくなった。音声ガイドもぜんぜん要らない。なぜかと言えば、展示物の横に置いてある文字も音声も言葉であって、絵画や彫刻などのノンバーバルなものを鑑賞するのに、わざわざ「バーバルの色メガネ」をかけるのは、ちゃんちゃら可笑しいなと思うからだ。宮台真司氏の言う「言葉の自動機械」になっちゃっている。

しかもわざわざ美術館や博物館に出かけて、文字情報を読み込むのに時間使うのはアホくさいと思うのだった。そんな文字、非同期的なネットや図書館にいくらでもあるわけで、今そこでそれを読むくらいなら、その時間まるごと展示物に見入った方がいい。

私の最近の鑑賞は、まずは現物をざっと見る→心を捉えたものを選んで更にじっと見る→後で文字情報にアクセスできるように作品名をスマホに残す。

成る程キュレーターがいないと美術展示は成立しないのだけど、現物をわざわざ言葉に変換したものを読みながら現物に触れるのではなく、ダイレクトに現物に接する。

美術館や博物館から帰ってきて、文字情報で深掘りして見たら、じっくり見なかったり、もう一度見たくなったらするものもある。

その時は、も一度、金払って観に行けばいいのだ。ノンバーバルなものを、誰かの言葉を鵜呑みにして見つめてしまうと、もう二度と、言葉のない出会いには戻れなくなる。

日本の美術館って、欧米のそれらと比べて、そもそも言葉の説明がアホみたいに多過ぎる気がする。ぽっぽ屋の車内アナウンスやホームでのマイクパフォーマンスがうるさいのと同じ。「おもてなし」を冗漫な自己満足と勘違いしているのではないか。

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新国立美術館ビュールレ・コレクション、モネの代表作の一つである《睡蓮の池、緑の反映》──これまでスイス国外には一度も出たことのなかったもの。