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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

強制体験への嫌気

世の中には能動的な情報と受動的な情報がある。

マスメディアで言えば、新聞とか雑誌は、能動の性質が強い。なにせ新聞とか雑誌の購読には基本的には金が要る。最近ではコンビニの雑誌コーナーに行くと立ち読みを防ぐシールが雑誌に貼ってあって、読むなら買え! の悲痛な叫びが聞こえる。

テレビは受動的な性質が強い。最近ではスマホを観ながらテレビも観る(正確には音だけ聞く)という、二重窓になって来ている。

ネットにおいても、検索は能動的だがSNSは受動的だ。タイムラインは強制体験だから、少しでも気に入らない情報はすぐにミュートされたりブロックされてしまう。

インターネットの時代になって、強制体験型の受動メディアや、強制的な体験は心底忌み嫌われるようになった。

駅の大型広告などはまだ強制感は少ないのだけれど、満員電車の中の動画広告とか本当に情報のフォアグラでウザすぎる。呼び込みやキャッチセールスなども嫌われまくっていて、最近ではSNSに本拠地を移す輩も少なくない。

しかし「強制体験の王様」は、何と言っても儀礼体験の右に出るものはないだろう。

日本社会で最も強制的な儀礼体験は、教育と会社だと思う。

学校教育は、今も兵士を育成するためのものだから、服装や行動を徹底的に標準化する。服装や行動を揃えることで思想が共通となり、よく言えば連帯、悪く言えば相互監視と同調圧力が生み出される。

会社は学校に比べると半強制だけれど、呑み会なぞはアルコールという麻薬が投入される分、その沙汰は狂気を帯びることになる。

酒席出欠への厳しい監視、席次や席順への執着、乾杯の音頭、締めの挨拶、余興などの式次第への偏執的な拘り、アルコール麻薬を借りた集団トランス……。

人間とは、結束しているから儀礼を行うのではなく、儀礼を通じてはじめて結束していくのである。他者を支配したければ、儀礼にこそ精通しなくてはならない。逆に他者から自由でありたいのなら儀礼の本質をよく理解することに尽きる。

儀礼という強制体験は、SNSの浸透に伴いどんどん脱臼化され、無効化されつつあるが、日本では、プレミアム・フライデーのような不気味な儀礼が次から次へとアタックをかけてくる。今度は月曜日午前を休めという「ラグジュアリー・マンデー」。本当に面妖で、薄気味悪い。