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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

7月18日木曜日、晴れ

5月に平成→令和になってからも、特に何にも変わってないと思ってたけど、経団連、創価学会、自民党、財務省、NHK、吉本、ジャニーズなど、いわば「昭和レガシー」どもが、どれもこれも、もはや反社会的な側面を隠せなくなってきていて、人々から唾棄されはじめている気がする。参院選をみていると、レガシーへの嫌気が、政治無関心層をして、投票行動に駆り立てる動機にもなりつつある。

今年、平成が終わったのだと思っていたけれどそれはようやっと生物的な昭和が終わったのでもあった。昭和時代を作り上げた人間が、老人となってしぶとく平成を生き抜き、自分の目が黒いうちは絶対許さんぞ! と呪いをかけていたものが、本人が物理的に死んだことにより、呪いが解けてくる。これは、完全なる朱子学カルト。

長老が死ぬと、支配されていた人間ロボがとち狂い出す。長老によって長い間洗脳されてきた人間ロボが、いきなりまともな判断なんてできるわけもなく、長老が死ぬと、大体悪い方向に組織が変わる。

誰かが言っていたけど日本は「冷戦構造に過剰適応した国」で、冷戦への適応力がめちゃめちゃ高かったからこそ、今とてつもない低迷期にある。つまり昭和のまま、朱子学カルトのシステムを引っ張りすぎた。

本当は、とっくに家族の仕組みなんて壊れているのに、今でも無理矢理家族を理想的なものとしてありがたがり続ける。実態は世界でもぶっちぎりの単身世帯率、つまり孤独が蔓延している国である。学校制度も、3年B組金八先生のまま。実態は陰湿ないじめが支配する世界。

家庭も学校もぶっ壊れているのに、あたかもまだそれらが大切な価値であるかのように粉飾している。この粉飾に耐えられなくなったものから、「無敵の人」となって自己破滅的な犯罪に走る。共同幻想から自由にさえなっていられれば、そんなめちゃくちゃな犯罪を犯す必要などないことなど自明なのに、一人ぼっちで思い詰めてしまうから、とんでもない殺戮が現実と化してしまう。

今このブログを書いている時点で今日の京都アニメーションの放火事件で33人もの無辜の人々の命が失われている。このところ続く発狂的テロ行為の連鎖。江戸時代から戦争でボロ負けしても残り続けた朱子学カルトというマインドコントロールから、どうしたら日本は自由になれるのだろうか。

私は、「ルソーの森」へと帰るべきだと思う。

森をさまよう彼には産業も、言葉も、家も、戦争も連帯もなく、仲間の必要もなく、同じく仲間を傷つけようとすることもない。(ルソー『人間不平等起源論』)

今でもまだ朱子学カルトの多くが過剰適応したまんまの冷戦構造の中にいる、そのことをもうやめなければいけない。

自分のコトバさがしをするということは、自分の生活体験から離れずに考えられるようなコトバを見つけるということです。(福田定良)

自分の生活体験それはつまり、食う・寝る・遊ぶである。共同体は昭和でとっくに終わっている。「ルソーの森」で個人が上機嫌に、呑気にいるためのコトバを見つけていく、それしかないのではないか。

きっとね。俺たちは呑気なんだよ。人を呑気にはさせない世のなかに逆らって生きている。(片岡義男)