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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

時間の流れ

巨人の監督がまた原辰徳になるのとか心底げんなり。

未来の話をする人があまりいない。「未来志向」などと嘯いて完全に過去の話であることばかりで嫌になる。

テレビがクソなのは、老人に向かってひたすら過去の話をしているからで、昭和のお歌や凶悪事件などなどひたすら、「昔は良かった」のリフレインである。

政治屋の悲願が憲法改正であるのとかも敗戦の過去への後悔、つまり過去の話である。教育勅語を現代の義務教育に活用するのも、過去への逃避ではないか。

東芝グループ理念体系の導入について - SankeiBiz(サンケイビズ)

このリリースを読むと、1990年に決めたグループスローガンをなぜか約29年後の2018年に再び主文に据えている。「人と、地球の、明日のために。」という未来っぽい言葉を使っても、それはやはり過去の言葉でしかなくて、未来が見える訳ではない。まあ東芝に限らず、日本の軍国政官財学はなべて、過去に引き摺られて傾いたまま未来を見ていない。未来を見ているとは言いながら、GAFA という過去をなぞっているだけだったりする。日本の軍国企業がGAFA劣化コピーに、無駄な時間と金を使っている間に、世界はどんどん先へ行く。

時間とは当たり前のことだけれど、未来から過去に向かって流れている。過去の流れにいくら目を凝らしても、未来を捉えることは出来ないのである。過去に正解があるように錯覚してしまうのは、農耕文化という一貫性の罠である。農業とは、過去の熟知こそ未来であったから、意思決定をどうしても過去に依存してしまう。狩猟時代に未来を見ていた人類は農業時代に過去を見るようになった。工業を農業の延長と見立てて過去ばかり見ていると、大損をこく。

軍国政官財学だけではなく軍国社会人もまた過去の奴隷である。とにかく大企業に入りたいとか、公務員になりたいといった気持ちは、過去に米がたくさん収穫できた田畑こそ、未来の安定を約束するものだったからである。過去が確実な未来そのものだった。

過去を未来と考えてしまう──これは一貫性のトラップなのである。軍国企業に入って押し付けられる仕事の多くは過去の清算や、撤収作業である。公務員になったところで、仕事の多くは貧困層や高齢者といった過去の歪みと向き合わなければならない課題ばかりである。

アルコールなども典型的な過去の麻薬である。アルコールは人類の無知によって肯定されていた過ちでしかない。アルコールを飲むことそのものが過去への後退なのである。問うべきは「30年後にどうなっていたら幸せか? 」である。

30年後に軍国企業は存在しているだろうか。

30年後に公務員は存在しているだろうか。

30年後にアルコールは存在しているだろうか。

30年後に政治屋はまだ偉そうにしているか。

30年後にテレビや新聞はあるのだろうか。

などなど「時間の流れという不可逆性」をしっかり見なければならないだろう。過去が安心の未来だと考えていると損をする。過去の奴隷となって生きても、もはや幸せになれない。

むしろ過去を断ち切って、未来から流れてくる確実な「いま」を感じ取り、選び取るセンスが必要である。時間は決して過去からは流れて来ない。