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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

組織ごと斬り捨てられる時代

新潮45というヘイト同人誌のゴタゴタとか、マジでどうでもいい。なべて政治そのものがオワコンでしかないし、政治屋どものテクストなんぞ‪端から‬読む価値なし。そもそも部数2万部弱とか、もはや図書館専用雑誌じゃんか。誰も糞をしに来ない便所の落書きでしかない。

新潮社って、新潮文庫で飯を食ってきた出版社だと思うけど、スマホが普及してからは電車の中で文庫読んでる人とか丸でいなくなったし、大丈夫なんだろうか。まあでも出版社って従業員数が少ないから、不動産屋でもやれば何とかなるのだろうか。講談社ですら、社員は千人しかいない。

私の場合、最近では新刊本は発売すぐにAmazonで買い、速攻でメルカリで売る。文庫は再販価値が低いから、買わない。新刊はメルカリで売っても、Evernoteに写メ保存しているので、コンテンツは手元に残る。

書籍とは人類の先行クラウドそのものだと思うから、本を私蔵・所有する必要なんてない。私の読みたい本は人気がないので図書館ですぐに借りれるし、次の予約も入らないから何遍でも借り直せる。個人でやたらたくさん本を持っている人を見ると、スマホ時代に巨大なランドセルを嬉嬉として背負う生真面目な大人と同じで、余計なものを抱え込んでいる人にしか思えない。

出版社にせよ銀行にせよ、昨日まで「社会的使命」と信じられてきたレゾンデートルが、根底からほぼ完全に否認されつつある。もはや本を所有することなぞ「文化」ではないし、金を借りることも「解決」ではない。銀行にせよ出版社にせよ、まともな仕事が減って、仕事ごっこばかりになる。スルガ銀行みたいな組織的不正融資に邁進したり、スルーされるよりは眉を顰められた方がマシとばかりヘイト垂れ流しの言論ごっこに逃避したりする。

昭和時代のありとあらゆる「立派なお仕事」がオワコン化しつつある。『美味しんぼ』山岡士郎の東西新聞社、『池中玄太80キロ』池中玄太の大京通信社、『釣りバカ日誌』浜ちゃんの鈴木建設株式会社などなど、「ぐうたらだけど一目置かれてる」なんていう虫のいいポジションは、とうに壊滅している。

企業がぐうたら社員にひたすら給料という固定費を支払い続ける訳がない。昔のようにリストラ部屋に隔離することも最近は出来ない。ではどうするのか。

個人を斬るのではなく、組織をごっそり斬る。ホールディングスにして分社化、不採算事業を子会社もろともぶった斬るのである。つまり、大企業の解体である。

生真面目に朱子学カルト社会に適応しても、その恭順さなど無視されて、ある日突然、ぶった斬られる。斬られた方も大変だけれど、残った方も辛い。東芝の半導体事業売却後の現存事業など、典型的な達磨である。達磨で出世しても、手足が生えて来る訳でもない。

「この仕事、意味ないな」と思ったら、そんな仕事は捨てた方がよい。捨てれば時間も労力も余裕が出るから、自分の頭で考えて、密かに実のある仕事に取り組むのだ。朱子学カルトの「達磨さん」にしがみつくのではなく、出来るだけ早く市場に自分の身を晒すべきだ。