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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

人間を常態として萎縮させ続ける統治の技法

市場という弱いつながりで、個人として生きていくのがこれからの生きる道だとすると、政党や企業という強いつながりのなかで、組織の歯車として生きていくのは、もうかったるいなと思う。

時間は未来から現在、現在から過去へ向かって流れているのだから、未来に存在しない、必要のないものは、‪流れてこない。政党や企業などの政治思想やヒエラルキーは未来からは流れてきてない。そんなものに今更付き合っても徒労ではないかと思ってしまう。

自民党の総裁選を見ていると、政党政治は未来の源流にはどう考えても存在しておらず、過去からの逆流でしかない。こんな逆流に付き合うのはだる過ぎる。お二人とも60歳過ぎて儀礼的選挙とか、過去の揺り戻しに短い人生時間をかけるなんてようやるわ、としか思えない。私なら何歳だろうと、文字通り放屁の如く生きたい。

自民党はもう未来に源流がないからこんな後ろ向きのイベントに注目しているのは、政官財学マスコミといった過去にしがみついている連中だけである。政官財学マスコミはなべてウォーキング・デッド。

大都市圏はもはや強いつながりや組織票で政治は微塵も動いておらず、リーマンショック級の不況が来れば、風が吹きまくり、自民党などあっという間に離散してしまうだろうし、強いつながりでこれまでやってきた地方は、物凄い勢いで結束が綻んでいる。自民党の党員票が予想を超えて現職の対立候補の石破茂に流れたのは、現在の政治の継続に未来がないことを表している。

組織の強いつながりから、個人の弱いつながりへ、自らの生き方を潔く変えられるかどうか?

この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」で横溢させ、人間を常態として萎縮させ続けるという統治の技法がある。(酒井隆史『通天閣』)

人をして過去に紐付け萎縮させる、特にアルコールを飲ませることで「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」で横溢させる支配形態が、朱子学カルトだと思うのだけど、勢い余って朱子学カルトの会社を辞めちゃうのではなく、まずはアルコールをすっぱりやめよう、というのが私の主張である。

アルコール・フリーの心身を取り戻してみると改めて、弱いつながりの個人として未来の源流の川下でいまを生きる楽しさを実感できるようになる。

過去に拘束されたまんまだと、

  • あの頃は良かった。
  • こんなはずではなかった。
  • 何のために生きているのか。

とばかり思ってしまうけど、未来から照射されているいまを見据えていれば、

  • いまここが楽しい。
  • やりたいことだけやる。
  • 目的は未来ではなくいまに設定するもの。

といった世界観に変えることができる。

自民党の総裁選なぞ、明るい未来の話はほとんどなくて、まさしく「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」で横溢させ、人間を常態として萎縮させ続ける統治そのもの。私はそんな統治を完スルーするためにも、人間を常態として萎縮させ続けるドラッグであるアルコールを飲まずに生きているのだ。だからとても幸せ。