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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

コンセプトの時代遅れ

今日は「2○時間テレビ」が年々超絶キモくなる理由を考えたい。

24時間テレビはチャリティーでギャラもらえるのに、東京五輪は巨大なビジネスなのにボランティアはタダ働きっておかしいと思うのは、私だけ?

— デーブ・スペクター (@dave_spector) August 25, 2018

協賛しているお店に行くと番組テーマソングがエンドレスにかかってて、思わずなにも買わず退店。

「放送で現金を募る」番組趣旨が、そもそもクラウド・ファンディングとかキャッシュレス化というテクノロジーの進化を‪端から‬拒絶するコンセプトである。こういった惰性の「ゴーイング・コンサーン」は、日本のあらゆる政財官学に蔓延してる(「既得権は未来永劫手放しませんよ!」)けど、現金や放送という古いテクノロジーで慈善資金を集めるコンセプト自体、完全にオワコンである。

24時間ぶっ続けで番組を続ける「キャンペーン発想」も古い考え方。出演者、製作者、視聴者誰もが無理をする。毎年テレビタレントが、24時間ブッ通して走り続けるとかも、もはや社会通念として許されない企画である。現金や放送という技術しかない時代ならば、キャンペーンにも意義があったのかもしれないが、人が誰かを助けたければ、24時間365日インターネットを通じて可能になった現代で、お仕着せの古いテクノロジーによるお祭りを強制しても逆効果である。

もひとつ思うのは、「障がい者チャリティ」という課題設定そのものが、ひどく20世紀的な偏りや、傲慢さを醸し出しているということ。

あらゆる人が嫌な思いを抱え込まずに生きられる社会の実現こそリアルな社会課題であって、LGBTの人やアルコールなどの依存症と闘う人々、学校教育に適応できず苦しんでいる人々、生活保護を不当に受給されていない人、性別で就職できない条件が非公表なまま存在していることなど、「合理的配慮」がなされるべき対象はもっともっと広い。

チャリティ番組にせよアルコールにせよ「続いてきたから、これからも続くのが当然」という既得権者のコンセプトそのものが、社会から駆逐される。