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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

コミュニティとかコミュニケーション

アルコールをやめると「友達をたくさん作らなきゃならない」「みんなと仲良くやらないといけない」といった抑圧から解放されて、精神的にすごく楽になる。

アルコールがないと手に入らない友達やコミュニティが、そもそも人生に不要になるからだ。

小田嶋隆氏は断酒を「失恋」にたとえていたけれど、もうひとつ概念として近いのは、「引っ越し」だと思う。

お酒が当たり前の時空間から、お酒のない時空間への引っ越し──この強制的なものは、懲役刑だが──飲まなくなるその日から、コミュニティとかコミュニケーションがゼロリセットされる。アルコールをやめると、アルコールによる社交が価値を失うだけでなく、アルコールにいつまでも縛られ続けている他者を、心のなかで蔑むようになる。

勿論、面と向かって態度には出さないようにかなり気をつけているし、シラフだから制御もできているが、アルコールで繋がっていた他者への愛着や慈しみは、ゼロどころかマイナスになってしまう。

人類は、この300年くらいの間、コミュニティやコミュニケーションを過大評価してきたのではないか。特に言語コミュニティや言語コミュニケーションに重きを置いてきた。

言語コミュニティや言語コミュニケーションの殆どが嘘、デタラメなものであってむしろ有害であることが、ITの普及で明らかになりつつある。言語情報とはつまり「命令と服従」に他ならない。

アルコールは脳に効く麻薬だから、言語中枢に作用する。アルコールが入ると言語能力が活発になる気がするから、アルコールが量産され肯定されてきた。しかしアルコールによって全能的と感じたコミュニティやコミュニケーションには、実体などない。

日本では、飲みすぎて翌日仕事にならなくても給料が増え続けた冷戦期に、アルコールによる言語中枢コミュニティやコミュニケーションがあたかも人々の絆を深めるかのように錯覚されていただけである。