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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

ここではないどこかへ

オウム真理教教祖の松本智津夫ら七人の死刑が執行された。フジテレビが「執行」シールをペタペタ貼りながら夜の特番で伝えていたけれど、この23年間のフジテレビの凋落ぶりの方に、思わず目が行ってしまった。23年という歳月は、組織も人も大きく変えてしまう。

1995年、まだ携帯電話も普及しておらず、PCも個人で持っている人は限られていた。冷戦期の、消費による自己実現に陰りが見えて、言葉によって打ち立てられたはずのイデオロギーが音もなく崩れつつあった。

今日死刑執行されたひとり井上嘉浩(48歳)の人となりを、ウィキペディアから引用する。

幼少期はドキュメンタリー番組が好きで世界の貧困問題や犬の殺処分問題に関心があり、NHKの新宗教と若者をテーマにしたドキュメンタリー番組に出演したこともある。父は真面目な性格であったが家でもくつろげず、夫婦喧嘩をよく起こし、父のような生き方をしても幸福はないと感じた。母は自殺未遂をしたこともあった[1][2]。武道、ヨーガ、阿含宗を経て高校2年の頃(1986年)オウム神仙の会のセミナーに参加し麻原彰晃の姿に感銘を覚え、麻原を理想的な親のように感じた。

冷戦期の終わり頃の典型的な「壊れかけの家族」という共同体から抜け出そうとして、彼は身体的な救済を新興宗教に求めたのだろう。空洞化した共同体を忌み嫌った彼と同年代の私には、彼の気持ちがわかる。「ここではないどこかへ行かねばならない」と、あの頃の私も考えていた。

彼は高卒でありながら、麻原彰晃の忠実な信徒として頭角を現して、地下鉄サリン事件を総指揮したと言われている。「ここではないどこか」は今日、死刑執行で終わったことになる。

井上嘉浩の強い動因となった「共同体の空洞化」はますます進行している。もはや共同体っぽいハリボテすらも原形をとどめない。オウム真理教も要するに、ひとつのエクストリームな朱子学カルトであった。最後に彼の手記を引用する。こういう人、政財官学のどこにでもいる。つまり、オウム的なエクストリーム朱子学カルトはまたいつでも再生産されるということだ。

自己の言動に対する社会人としての当然の責任感を18歳で教団に出家して以来、「自分で考えてはいけない」と教え込まれたことにより放棄してしまっていました。