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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

6月はワールドカップ で酒が飲めるぞ

サッカーには丸で興味がないので、ワールドカップは一秒も観ない。世間一般になんとなく盛り上がりに欠けるのは、サッカーそのものの問題というよりは、国民国家へのあらゆる愛着が急激に薄れているからではないか。ナショナリズムの無意味さが、どんどん当たり前になりつつある。五輪ピックの無賃ボランティアへの批判も強い。政官財学の「がんばれニッポン」は、どれもこれも華麗にスルーされつつある。ワールドカップ のオフィシャル・スポンサーを名乗る日本企業もほとんどない。

ワールドカップと言えば、社会人の同期だったW君を思い出す。彼はサッカーを観るのと語るのが好きで、テレビの前で、酒をがぶ飲みしながらサッカーに見入っていた。のちに彼は、うつ病になって会社を辞めたらしい。

日本って、なんでか知らないけど、サッカーとアルコールが強く結びついている。フーリガンかよ。そもそも全然関係ないじゃんか。日本戦になるとにわかフリークがわらわら出て、渋谷にみっともな酔っ払いが大量に繰り出していたけれど、今回は多分、そんな雰囲気でもない。

何もかもが朱子学カルトに収斂して行くから、サッカーも朱子学カルト炸裂。長幼の序で選手を選んで勝てるんなら、苦労はない。サッカーは政治ではないからだ。

「ニッポンを応援しながら酒を飲む」行動自体がカッコ悪いと思えてしまうのは気のせいだろうか? ニッポンを応援することも、応援しながら酒を飲むこともどことなくカッコ悪くなった気がする。

なんでなんだろ。サッカーで日本が勝っても、酒を飲んで盛り上がっても、結局は翌日になれば無であることが確信できてしまう。酒もナショナリズムも単なる古い麻薬に過ぎず、虚しい。