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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

リスクは百%そいつに押し付ける

ある種の熱狂をもって盛り立てられて、気持ちよくさせられ、彼がそれなしでは生きていけなくさせられると、危ない橋を渡らされる。

例えば、クルマの運転。クルマを運転することは「自由の行使」だと刷り込まれ、「意のままに操る喜び」「ドライビング・プレジャー」などと散々盛り立てられる。でもよく考えると本当に自由なのは、そのクルマの助手席や後部座席に乗り、スマホを見ながら、あるいはすやすやと眠りながら、誰かに運転させて意のままに行きたい場所まで行かれる人々である。運転手などもともと不自由の極みみたいな仕事である。それがマイカーを売るためにあたかもそれなしには自由ではないと駆り立てられ、運転という使役を自由と履き違え、何重にも税金を取られた挙句、事故のリスクは百%、当事者が背負わされる。少しでも違反が見つかれば、警察からも、複利で金を搾り取られる。なんとも非合理だと感じるのはおかしいだろうか。

例えばアルコール。さしつさされつ酒を酌み交わし邂逅を果たす。飲酒は「大人の自由」と刷り込まれ、「人生の潤滑油」「自分へのご褒美」「組織の活力」などと散々持ち上げられる。でもよく考えると、飲んでしまえば正気を失い、必要以上に他者へと迎合する程度ならまだ良いが、図に乗って誰かを傷つけたり、事故で取り返しのつかないことをしでかす。あるいはアルコールなしでは生きられなくなり、廃人となれば、「本人が弱いからだ」と見捨てられ、奈落へと突き落とされる。

例えば朱子学カルト。長幼の序やら仁徳やら義理人情やら、美談美学で煽てられ、本来なら大した価値のない出世や論功行賞をエサに危ない橋を渡らされる。うまく行かなければ、そいつが勝手にやったと頰被りして、上にいるやつらは責任を百%そいつに押し付ける。

洗脳とは、本当に割の合わないもの。損をするのは常に一方的に、染められ洗われたものなのだ。自由とはなんだろう。非合理から逃げる自由は誰も奪えない。