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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

無滴生活のすすめ

お酒を一滴も飲まない「無滴」の大型連休の過ごし方もすっかり板についてきた。「無滴」は「無敵」に通じる。一日の体感時間が5時間くらい増えるイメージ。殆ど誰とも会わないし、都心へも行かない。外食も滅多にしないし、基本、何にもしない。サウナや風呂ぐらいか。

この「無敵」の感覚は、そう、中学生の帰宅部だった頃の感覚。周りから見たらぽつねんとしている浮いた厨房なんだけど、こちらは一方的に楽しかったんだよなあ。

時間感覚が10代の感じに戻る。孤独が丸で怖くない。無滴生活最大のメリットは、この悠々たる時間感覚だと思う。たまに夜更かしして読書や映画に夢中になると、それだけで幸せ。

一滴も飲まなければ、社会人として組み込まれて強いられていた「強いつながり」からも自ずと解き放たれる。読書を通じた死者との対話や、市場を通じたドライな調達や、インターネット上の事務的やりとりなどの「弱いつながり」の心地よさ。これも無滴の大きなメリットである。

アルコールを飲まないと、お金もぜんぜん使わなくなる。「弱いつながり」には、固定費がかからない。殆ど変動費ではないか。

お酒の介在する「強いつながり」はその維持に矢鱈と手間暇がかかる。いまも高度経済成長が延々と続いているのなら、「強いつながり」の維持・管理にコストをかけなくてはならないけれど、もはや自律分散の大きな流れは止められず、呑みュニケーションなんて一方的な損なのではないかと思ってしまう。呑み損やつながり損……酒を酌み交わして維持する「強いつながり」なんぞ、もはや資産ではなく単なる負債ではないかと思うのである。

資産の仮面を被った負債ほど、雄弁に「正義」を騙るもの。プロパガンダとは結句、「負債」を「資産」と勘違いさせる屁理屈に他ならない。無滴の人になると、なにが「資産」で、なにが「負債」か、はっきりと見分けられるようになる。無滴は価値判断の審美眼を「正気」に保ってくれる。