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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

デジタル音痴

「デジタル」をITやコンピュータと混同している「デジタル音痴」が多過ぎではないか。漢字もひらがなも数字もデジタル。デジタルとは、物質や概念を信号で表すことであり、「その信号が電気的かどうか」は丸で関係ない。

人類は農業革命のあと文字を発明したと言われているけれど、文字とは本質的にデジタルである。農業社会における土地の権利や取れ高を人間が死んでも記録しておく為には、土地や取れ高という物質や人間の権利といったアナログなものごとを、文字という情報に置き換えて保存、伝達する必要があった。人間の寿命を越えて長く管理する為である。まあ別に文字でなくても信号であればなんでも良くて、アンデス文明は文字を持たなかったけれど、下の写真みたいな「キープ」という複雑な紐で、重要な官僚情報を保存、交換していた。

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例えば日本語の「きれい」は、英語で言うとbeautiful とclean両方の意味を「きれい」という音や文字で信号にしている。

物質や概念という連続的なものを、えいやで信号化、記述していくことが、デジタライゼーションである。

だから、学校でやらされるしょうもない作文も意味のないデジタル化であるし、図書館とはクラウドそのもの。図書館は「クラウドみたい」なのではなく、どんずばでクラウドに他ならないのだ。「文化」の語義はそもそもデジタライゼーション。

人類は世界という膨大なアナログを文字や数字でデジタル化して、せっせと蓄積してきた。だから「デジタル・ネイティブ」という言葉は語義がおかしい。夏目漱石もデジタル化で飯を食っていたのだから、最近の若者は単に、生まれた時から電子的デジタルがあるというだけである。

文字を書くことは、物質や感覚器官を通じて知覚されたアナログの世界を文字に変換することだ。お金も、価値を数字に変換するのだから、これまでは仕方なく紙や金属を使っていただけで、本質的には昔からデジタルだ。

この世界を、記号や信号に無理矢理圧縮したものがデジタルである。

日本人は、デジタルの本質がわかっていないから、最近特に苦労している。ちまい現金主義とか、文字の契約よりも空気や同調やアルコールによるトランス共有で仕事するとか、要するに日本人は病的にデジタル音痴だから、アウトプットがデジタルそのものになると立ち行かなくなる。