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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

子牛と社会人

『サピエンス全史』みたいなメタな世界観・歴史観がいまウケるのは、日本で起きているdisruption の根底にあるのが、ホモ・サピエンスの凶暴さだからで、人類の底なしの邪悪さが警戒されているからだと思う。

国民国家による歴史観(単なる虚構)なぞもはやなんの役にも立たない。ホモ・サピエンスとしてメタに世界を認識しないと、どんどん不利な状況に追い込まれていく。なぜならこれからの変化は、過去数千年の変化が数年に圧縮して巻き起こるからだ。

この本のなかに、農耕文明における牛という種の悲惨さに触れているページがある。

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工場式食肉農場の現代の子牛。子牛は誕生直後に母親から引き離され、自分の身体とさほど変わらない小さな檻に閉じ込められる。そして、そこで一生(平均でおよそ4ヶ月)を送る。檻を出ることも、他の子牛と遊ぶことも、歩くことさえも許されない。すべて、筋肉が強くならないようにするためだ。柔らかい筋肉は、柔らかくて肉汁がたっぷりのステーキになる。子牛が初めて歩き、筋肉を伸ばし、他の子牛たちに触れる機会を与えられるのは、食肉処理場へ向かうときだ。進化の視点に立つと、牛はこれまで登場した動物種のうちでも、屈指の成功を収めた。だが同時に、牛は地球上でも最も惨めな部類の動物に入る。

人類は牛という種族を食うために、種族としての牛の尊厳を完全に侵して、制御している。牛の肉を「お肉」だと「お」を付けて喜んで食べる。

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のクローン子どもと、「子牛」との差異はほとんどないし、己っちからすると、「子牛」と「黒人奴隷」の差もあまりない。

さらに言えば、現代日本の「社会人」と「子牛」がどれくらい別物なのかという自信もない。「子牛」は殺されるまで物理的な檻に閉じ込められているけれど、「社会人」は「逃げたら卑怯だ」とか「我慢は美徳だ」「権力に阿ることが勝ち」といった、虚構としての檻に死ぬまで閉じ込められている。

子どもの頃から徹底的な同調訓練を仕込まれ、社会人になるとやたら元気ではきはきと、組織の偉い者に媚びへつらって、夜になっても家にも帰れず小汚い店で酒をがぶ飲みさせられ、ひたすら無私無欲に生きることを強制されている。社会人とは、この子牛と大差なく、凶暴な人類によって完全に制御されている惨めな存在なのではないか。

流石に人間を檻に閉じ込める訳にもいかないので、アルコールをぶち込んで自由思考や自由意思を奪っている。牛を制御するよりも、更に残虐かつ高度に知的な方法で、人間が人間を牛よりもずっと思い通りに、巧妙に管理している、とも考えられる。

アルコールとは、ホモ・サピエンスのずる賢い凶暴さによって合法とされ、ホモ・サピエンスどうしの支配を容易にするために大量に打ち込まれている物質である。アルコールを合法とするテクストは、そろそろ書き換えられなければならない。

今年も熟慮しながら、アルコールの本質についてこのブログで書き記していきたい。