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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

『お金2.0』読了(2)

昨日の続きで残りふたつ。

世の中に膨大なデータが溢れたことで進んでいく「自動化」と、ネットワーク型社会に移行することで起きる「分散化」というふたつの大きな流れは、今後の10年を考える上で非常に重要になります。そして、この2つが混ざった時に起こる「自律分散」というコンセプトが、多くの産業のビジネスモデルを覆すことになると私は思っています。

Googleのページ・グラフ、TwitterやFacebookのソーシャル・グラフ、Amazonのプロダクト・グラフ、Intelのチップ・グラフ……。デジタルな分散化は指数関数的に進む。

世界はインター・ナショナルからインター・プラットフォームへと変わりつつある。ドーパミンを取り扱う主役も、国民国家からプラットフォーマーへ急速に移り変わりつつある。

国民国家はますます形骸化するし、国民国家に紐付いたレガシー・インフラストラクチャー(国土交通、通信、銀行金融、教育、メディアなど)も悉く土管化するだろう。

政治屋さんや行政官僚は権威と権力を失い、単なる弱者のカウンターパート化して、割の合わない職業になる。

手段の多様化により人々が注力するポイントが「お金」という手段から、その根源である「価値」に変わることは予想できます。(略)これからの時代は本当に価値のあるサービスを提供しない限りは利益を出しにくい、価値と利益がイコールで結びつく時代だと思っています。

18世紀からのヒエラルキー(帝国主義)が弱まって、分散型ネットワーク へのパラダイムシフトが加速するということは、人間という嫉妬と悪意に満ちた有機体による隘路が消滅するということで、これはつまり「価値」さえ知覚されれば、自動的に「利益」が確定してしまう社会となることを意味する。

つまり良いドーパミンをたくさん出す集団や個人が、瞬時に評価される社会になる。

ざっくり言ってしまうと、この先は「自分の価値を高めておけば何とでもなる」世界が実現しつつあるからです。

ヒエラルキーとは結局、情報の非対称性を前提とした支配と被支配つまり「上下」のシステムで、その非対称性が失われればもう丸で機能しないのである。

学校や会社という古いヒエラルキーに身を置く必要などもはや全然ない。家族という選択すらも、もはやしなくても良い。

ヒエラルキーの下部構造として命令としての情報だけ浴びせられ、ひたすら消費させられるだけの存在から、分散型ネットワークの一部として自分の価値をつくり、発信する存在へと変わることが、人間にとって「よく生きる」こととなる。

世の中はアトムでできているものとビットでできているものがあるけれど、お金って元々、アトムではなくビットのもの。これまでは仕方なく、アトムで流通させていただけなのだ。

さらに言えば、ドーパミンもまたアトム由来からビット由来に移り変わり行く訳で、それはつまりアルコールというアトム由来の麻薬はもう全然要らないということであって、己っちにとってはまさに、最高にのうのうと生きられる時代となりつつある。