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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

シェア争いは不毛

己っちの見立てだと、日本が本当の意味で戦争に負けて単なる敗戦国へと投げ打たれたのは1991年であって、1945年から1991年までは、単なる休戦によるポーズ(時間停止)であった。

その1945年から1991年までの世界観とは要するに、冷戦によって成長する国内と北米需要の単なるシェアの奪い合いであった(日本は文字通り北米の一部だった)。

朝日スーパードライとキリンラガービールの戦いとか、日本生命と第一生命の客の取り合いとか、トヨタと日産とホンダの販売合戦とか、とにかく何から何まで、冷戦による敗戦国処理停止による徒花に過ぎない。

徒花の割には図らずも花が長く咲いたので、1991年から先も、政官財マスコミの殆どが、とにかく「北米」のシェア争いに明け暮れることこそ「社会人として」「きっちり仕事をする」ということと同義だったのだ。

次から次へとブランド・スイッチのためのくだらない争点が捏造され、ただそれに広告とお店の棚を塗り替えさえすればよかった時代だった。

そういう「シェア争い」妄想に取り憑かれている経営者は今でも多い。

特にバブル世代には多い気がする。例えばこの記事。

楽天、じわりアマゾンの影 経済圏拡大や広告に活路 :日本経済新聞

「楽天を倒すため(Amazonは)採算を度外視している」

と三木谷さんは言うけど、Amazonにはこういうシェア争い発想は多分全然ない。

「打倒楽天」なぞ、シェア争いこそ正義とばかり1991年以降も無理ゲーを続けてきた日本企業の終わってる世界観に過ぎない。

Amazonがやってるのは、シェア争いではなく需要創造である。

日本の多くの会社がシェア争いという世界観を捨てられないまま、衰退しつつある。

たぶんその会社がなくなるまで、冷戦期の古臭い世界観を変えることは難しい。

 

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