kindle, 手ぶら, iPhone, 禁酒,ウォーキング,禁煙,断酒,ダイエット

徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

インターネット以前の世界

「Jアラート」という警報システムの間抜けな名前を耳にする度に、浜田省吾の「J.BOY」という曲を思い出す。

浜田省吾 『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 - YouTube

1986年の曲。なるほど「Jアラート」とは、とっても冷戦期っぽい語感である。

ところで、浜田省吾などの、インターネットのなかった冷戦期の音楽を聴くと、なんとも物哀しいのは、なんでなのだろう? といつも考える。

飽くまで暫定的であるが、己っちの答えは、あの頃は、あまりにも我々が「神の視点」を持っていなかったから、ではないかと考えている。

インターネット以前の世界では、「神の視点」を持つ存在がごくごく限られていて、「神の視点」や「メタな世界観」からものを見ようとするのは、「マスメディア」や「アーチスト」などの限られた一握りの人だけだった。

インターネット以前の歌には、「マスメディア」や「アーチスト」による「神の代弁」っぽい強烈なお仕着せ感がつきまとう。消費者を「特別でかけがえのないあなた」に仕立て上げ、消費者を世界の中心に祭り上げようとする魔術的音楽ばかりだ。

他方、インターネット後の人間は、誰もが「神の視点」に慣れている。例えばGoogleの検索結果は「神の視点」に近いし、交通事故の報道などでも、事故原因が「神の視点」によるCGで再現されて、我々はまるで神であるかのようにその事故を目撃してしまう。

インターネット以前はほとんどが、「1:n」の世界だったのに、インターネット後の世界は、「n:n」の世界を「神の視点」から見ている気分を常に感じながら生きていて、それは、とても興醒めなのだ。

インターネット以前の歌は、「1:n」の気分を歌っているので、いま聴くと何だか物哀しい感じがするのではないか。

音楽に限らずあらゆるインターネット前の風俗・文化は、いま見ると無力で本当に物哀しい。

f:id:Mushiro_Hayashi:20170903215535p:image