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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

過剰適応から抜け出そう

エーリッヒ・フロムの著書「自由からの逃走」の中に、次のような指摘がある。

「すなわち、よく適応していると言う意味で正常な人間は、人間的価値についてしばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康である場合もあり得るであろう。彼はよく適応しているとしても、それは期待されているような人間に何とかなろうとして、その代償に彼の自己を捨てているのである。こうして純粋な個性と自然性とは全て失われるであろう。これに対して、神経症的な人間とは、自己のための戦いに決して完全に屈服しようとしない人間であると言うこともできよう。(藤原和博『処生術』より)

江戸時代とは一般人にとっては暗黒時代で、GDPは丸で豊かにならず、庶民は生かさず殺さず半殺し、一握りの武士階級に押さえつけられていた。

飢饉や火災も多くて寿命も短く、庶民は移動の自由も、勿論言論の自由もなかった。

徳川が武士階級を統治するために利用した教条が朱子学で、泡沫な武士階級が英国に唆されて出来た明治政権以降も、田舎侍の思想プラットフォームである朱子学カルトは、基本的に変わらなかった。

武士道はやがて軍隊の思想的下地となり、いわゆる「サイロ・エフェクト」によって、米国との勝てもしない総力戦の泥沼に嵌り、1945年3月10日に東京は焦土と化す。

戦前の日本では、3月10日は陸軍記念日であった。3月10日は、1905年、大日本帝国陸軍が日露戦に勝ち、奉天城に入城した日である。

米国は陸軍記念日に帝都東京を焼き尽くし、8月には海軍拠点である広島、長崎に世界で初めて原子力爆弾を落とした。

しかしそれでもなお、日本の朱子学カルトは殲滅されずに、冷戦によって生き残ったのである。歴史とは、皮肉なものである。

今思えば、第二次世界大戦は、1945年以降も1991年のソ連崩壊までは続いていたのだ。日本の「戦後」とは、実質的には1991年からなのである。1945年から1990年までは、地政学的モラトリアムであったのだ。

いわゆる「逆コース」によって、ゾンビの如く復活してしまった朱子学カルトは、高度経済成長の工業化を後ろ盾にして、人々の組織への過剰適応を更に強く求め、役所や大企業を中心に、戦前の隣組と大差のない同調や相互監視が徹底された。

同調や相互監視に積極的に利用されたのが、アルコールである。

冒頭の引用のように、過剰適応とはひとつの病である。過剰適応による「自己放棄」から逃れようとして、アルコール漬けになった人間もたくさんいる。

過剰適応のアホらしさに気づくと、アルコールは、不要になる。檻に入れられていると思っていたが、よく見たら鍵は開いていた。

人間は自由を取り戻すとアルコールなんて麻薬は‪端から‬要らない生き物なのである。

福島3発目の原爆をきっかけにして、漸く朱子学カルトが衰退しはじめている。