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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

教育という共同幻想

鏡を見る前のまだ人間になっていないものは、世界の中に水の中に水があるように存在している。水の中に水を一滴入れたように存在している。世界は巨大な海、その中にあなたたちが一滴落ちたように存在している(佐々木中によるジョルジュ・バタイユの引用)

広い海の一滴に過ぎない人間は、鏡にうつる自分を見てはじめて「かけがえのない自己」を発見するのだが、キリスト教にしろ、国民国家にしろ、支配する方からしたら、人間一滴一滴に好き勝手に振る舞われては困ってしまう。

ひとしずくの人間を、共同体という同じ水に染めるのが義務教育である。ある種の捻じ曲がった揃いの鏡を結社や共同体の全員に与え、ひとしずくがあたかも同質な海原にある虚構をつくる営みこそ教育なのである。

公立学校へ行けば、国民国家にとって都合の良い鏡を見せられるだけだし、私立に行けば、私的な宗教組織や実業結社にとって、最適に捻じ曲がった鏡をあてがわれるだけである。

国民国家や各種の結社・組織が幼いうちから子供を囲い込みたがるのは、幼ければ幼いほどはやくつよく洗脳できるからである。マクドナルドが遮二無二幼児用のおもちゃをオマケにくっつけるのと同じである。

日本では、国民国家と言えばいまだに、江戸中期に確立した徳川による朱子学カルト洗脳である。つまり韓国や北朝鮮と同じ儒教である。教育勅語は、まさに朱子学カルト洗脳に他ならない。

幼いうちに、同調や相互監視を徹底的に刷り込むと、あとあと支配が楽である。

日本は教育による洗脳が巧みであるが、最近話題の大阪の国家神道小学校は、君が代の演奏がしょぼいキーボード演奏であったり、教育勅語を幼児に言わせたりして、肝心の真理の演出という極めて大事な儀礼性が全く重んじられていないので、これは単なるコスプレ、なんちゃってカルトである。やるならちゃんとやれ、と言いたい。

成長して、考える力がついてくるとなかなか洗脳を維持できないので、大学生になったくらいから、じゃんじゃん酒を飲ませることで、朱子学カルト洗脳を強化する。それが日本クオリティ。

東大生が、テニス・サークルで、大五郎という焼酎を原液で大量に飲まされ、放置されて殺害された事件があるけれど、東大とは、大量の木っ端国民を飼いならすトップ・エリートのための朱子学カルト学校であり、この薬殺事件は国民国家の洗脳機関最高峰の東京大学だからこそ起きたアナクロ殺人だと言える。

漏斗で飲酒させないと強要にならないのですか 飲酒事故遺族の思い:朝日新聞デジタル

今さら幼い子供にお受験させて、嬉々としながらカルト洗脳をさせるクソ親は、教育は洗脳だということに丸で気づかないのは、そのクソ親が既にカルト洗脳されているからで、洗脳の連鎖はなかなか切れることがない。本当に困りものである。