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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

書くことによって救われる

「書く」のやまとことばはもともと「掻く」、先の尖ったもので何かを引っ掻くことだ。

恐らく(松本)清張にとっては、書くことだけがただひとつの救いだったのだろう。私もまたそうだった。そのため私は相当にちょっと因業な人間になり、周囲の人に憎まれて来たが、しかし人に憎悪されることもまた愉しいことである(車谷長吉)

車谷長吉が不慮の事故で亡くなってもう直ぐ2年、月日の経つのは早い。

「書くことだけがただひとつの救い」なぞと彼の一文を改めて、iPhoneで書いてみるとさらっと読むよりもなお重い言葉であることに気づく。

「だけ」と「ただひとつ」が重なってクセがある文だ。

己っちは、彼の書くものを読んで随分と救われた。否、今もまだ彼の残したテクストで救われ続けている。

彼の作品は自室の本棚の一番いいところに置いてあるのだ。

中上健次は、新宿、熊野神社前交差点角にある「ブラジル館」に入り浸って、原稿用紙ではなく集計用紙に、改行もケチって小説を書き貯めた。

活字にしたどれひとつとして、喫茶店以外で書いたものはない。歌謡曲、ポピュラー、クラシック、ジャズ、それらがいつも流れている場所だ。勝手に曲は流れている。人の話は、耳をそばだてると聴こえる。しかし聴こえない。人はいるが、誰もいない。私一人だ。『コーヒーひとつ』とウェイトレスに頼む。『ホット』と言う時もある。その時から、区切りをつけて店を出るまで、私は一種の催眠状態にいる。(中上健次)

日本の優れた小説は、殆ど例外なく当人の魂の救済手段なっていると思う。

もの書きの「もの」とは、

「こと(事)」が時間的に生起・消滅する現象を表すのに対して、「もの」はその現象を担う不変な実体を想定して用いる語」(大辞林)

のこと、つまり魂を書く人々である。

とは言っても、ものやことを書くことによって救われるのは、作家だけではないだろう。

聖書や古典や、村上春樹など人気作家の作品も図書館で殆どゼロ円で読めてしまうことからして、価値があって、みんなが読みたがるテクストほど無料なのだから、売文稼業は昔と比べても成り立ちにくい。

書くことが、先の尖ったもので何かを引っ掻くのではなくなった現代においても、インターネットに吐き出す採算度外視の言葉もまた、それを書く人にとっては魂の救済なのだろう。

誰がどれだけ読むかは、もうあまり問題ではないのかもしれない。