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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

リアリティの時代に

事業はリアリティだが、組織や酒なぞ絵空事、「ごっこ」に過ぎない。

己っちは、組織や酒というファンタジーではなく、リアリティという個人事業にこそ時間を使いたいんである。

日本組織は戦前も戦中も戦後も、一貫して朱子学カルトとアルコールでつまらんファンタジーを維持してきたけれど、お終いも近い。

毎月給料から差っ引かれている税金は、朱子学カルトというファントムの延命に使われている。

震災から6年経っても、仮設暮らしの人が大勢いたり、高レベル汚染地域なのに、酷薄な帰還指示が出されたりして、己っちは暗澹たる気持ちになる。

森友問題なぞ、国家神道と新興宗教による、野合ハイブリッドなカルト政権の貨幣として、国有地が勝手に流用されているのではないか。

どうせ抜き取られるなら、Googleや、Amazonや、この前「カンブリア宮殿」で見た「気仙沼ニット」みたいな、リアリティのある事業に抜いてほしい。心底思う。

薩長の成れの果てに、一体いつまで食い物にされないといけないのか。

リアリティとは、言葉や数字や絵で、古い価値を新しい価値に書き換えることである。

宗教革命、ルネサンス、市民革命、IT革命、みんなそうだ。

朱子学カルトや新興宗教カルトなぞという幻覚は酒と一緒で、実に悍ましい。

視野狭窄の「チャレンジ」や呑みュニケーションによって、古い価値観を熱狂的に支え信じたつもりになっても、翌朝残るのは、発がん性物質、アセトアルデヒドだけである。