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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

個人として生きる

iPhoneファーストで、Workflowyというアウトライン生成アプリを使って、毎日、物思いや考えごと、本の書き抜きやらをSiriやフリックだけで、原稿用紙換算すると毎日10枚以上書きまくっている。

村上龍の「星に願いを、いつでも夢を」最新のエセー集から。

(大手既成メディアは)いまだに「格差」を論じる文脈を持っていなくて、たとえば財政や、医療や年金などの社会保障についての「最悪のケース」に言及する方法も見出そうとしていない。おそらく今後改善される可能性はゼロで、ますます内向きになり、国民を慰撫することを優先するようになるだろう。繰り返すが、バカなわけでも、偏った考えに凝り固まっているわけでもない。例を挙げると、社会的弱者に対し「可哀想な人々」という捉え方しかできないということだ。(略)大手既成メディアは「文脈を持っていない」ことに今後も気づかないだろう。

大手既成メディアは、シングルマザーや貧困層や無縁老人といった社会的弱者を、「可哀想な人々」としか分類できない。

これはなんでかと考えれば、大手既成メディアの書き手が全て、組織という滅びゆく虚構の側から、封建制度が維持存続するためのフィクションを書くことしか能がないからだ。

ちょうど今日は、長州の封建勢力が大号令する「プレミアム・フライデー」初日だが、大手既成メディアもまた、長州と同じ封建思想で出来た泥舟の乗組員であって、茹でガエルどうしが湯加減を忖度し合うことだけが、彼らの「言論活動」になっている。

彼らこそ「可哀想な人々」ではないか。

封建思想である儒教社会の終わりを痛感する事件がいろいろ起きている。

ひとつは、大企業の債務超過である。有望な事業を切り捨て、懐かしい出自である伝統の死に体組織を護ってしまう愚かさ。会社OBどもの走狗としてのyes-manが組織を率いる悲劇。

ふたつ目は、朝鮮のごたごた。朴槿恵問題や金正男殺害とは、要するに朝鮮が儒教という封建思想に雁字搦めであることの証左である。

三つめ、日本の過労死問題。弱い者が一方的に支配層を忖度して、滅私奉公することだけが、唯一の承認→生存手段である日本企業は、未だに基盤が朱子学カルトという封建制度である。

朱子学カルトは分散型ネットワークによってバンバン壊されている。己っちは組織との不即不離をモットーに、組織構成員である肉袋どもとは限りなく透明に近い淡い繋がりでのみ付き合い、プレミアム・フライデーとはいえ昼酒などはいっさい酌み交わすことなく、全人格的労働を用心深く忌避するのみである。