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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

「沈黙〜サイレンス」を観た感想

スコセッシ監督「沈黙」を有楽町で観た。長さを感じない面白い映画だった。

遠藤周作の原作は何回か読んでいる。

己っちは徳川支配と戦前・戦中・戦後の現在までを、基本的には殆ど何も変わっていない封建制度と考えているので、徳川がキリスト教という異物を弾圧するこの映画は、現代にも通じるありがちなコンテクストとして捉えたのである。

例えば、官僚(検察)が、目障りな政治家を蹴り落とすメカニズムと、キリスト教を排斥するメカニズムはおんなじだなあと思う。

徳川は、朱子学による武士の洗脳に、キリスト教が本質的に邪魔だと考えて、厳しく禁じたのだと思う。確かに儒教的支配の対極にあるのが、キリスト教的支配と言える。

戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。

という考え方があるが、朱子学カルトから生まれた明治憲法とプロテスタントから生まれた合衆国憲法の戦いが、太平洋戦争だったのだ。米国は日本の正当性原理である明治憲法を攻撃し、実際に日本国憲法へと書き換えた。

きっと冷戦がなければ、米国によって日本は日本国憲法通りに本質的に書き換えられていただろうが、結局、朱子学カルトは肝心な部分で、なくなりはしなかった。朱子学カルトは飲酒儀礼の真因で、己っちはアルコールと同じくらい蛇蝎の如く嫌い抜いている。

映画でも描かれる穴吊るしや俵責めと言った酷薄な懲らしめは、人間としての尊厳を徹底的に奪うために考え尽くされた残酷な拷問刑である。過酷な処刑を前に「転ぶ」パードレたちを、この作品はキリストの絶対的な声によって護ろうとしている。何人も、心の信条までは誰の手によっても書き換えることはできないのだ。

己っちが日本の朱子学カルト組織に腹で背き、周囲にいっさい目をかけず、仕事にもいっさい心を込めないことを、誰も変えることができないのと同じように(笑)