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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

檻のなか

すべての人が何らかの檻に入れられています。

でも扉の鍵はいつも開いているのです。

(ジョージ・ルーカス)

人は、義務教育で、国民国家の檻へと投獄される。教育制度なぞはインターネット以前の古臭いシステムの官僚制の残滓で、惰性で続いているだけのものだ。学校では子供をクラスに閉じ込め、この檻のなかこそが世界だと信じ込ませる。

義務教育の檻は、やがて社会人の檻へと擦り変わる。社会人とは、「檻のなかこそが世界だと信じるもの」のことであり、檻に鍵がかかってないことすら確かめず、黙って檻のなかで死んでいく。

この檻では、権力者や政商・豪商の指図で、社会人は自己主張せず周りと同調して、ひたすら精勤が強制されるが、檻に鍵がかかっていないのと同様、精勤もまた強いられるのではなく半ば自発的なものなのである。

徳川家は、中国では決して定着することのなかった朱子学を、グローバル標準と勘違いし、檻のなかを秩序立てて支配する洗脳ロジックとして利用した。

父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信といった五倫は、結局、支配者にとって都合の良いもので、再分配のリソースが先細りでも、檻の中の処遇に格差をつけることで、支配のヒエラルキーを構築することができた。

この檻の秩序を機能させる麻薬こそがアルコールである。酒は権力者や政商、豪商にとっては、檻を打ち壊そうとする反逆のエネルギーを鎮め、霧消させる効果があるのだ。

この「檻の洗脳」は、実は今でも多くの日本人で有効である。社会人という、鍵のかかってない檻に喜んで収まっている人々はまだ、「アルコールさえあれば、社会人もまた乙なもんだよ」などと寝ぼけたことを言ってやがる。