kindle, 手ぶら, iPhone, 禁酒,ウォーキング,禁煙,断酒,ダイエット

徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

芸能界とお茶の間の逆転

年末のレコ大や紅白は、己っちが子供の頃は哀愁があった。芸能界自体に、物悲しさがはっきりと残っていた記憶がある。

昔なら、暮れのお化け番組に出ること自体「売れた」ことの何よりの結果な訳で、当時の芸能人は、悲願叶った流行り歌を歌いながら、感極まって涙を流すことも多々あった。お茶の間は、「苦労が報われてよかったね」と芸能人たちに同情していたわけで、芸能人よりも一般人の方が「上」だった。

あれから半世紀近く経って、立場が完全に逆転していることに気づく。テレビの向こう側にいる芸能人がセレブで、お茶の間が「下」。最近の紅白やレコ大について己っちが連想するシーンは専ら、受信料を湯水の如く使うあの世ズレした唐変木な演出の歌番組を、乞食酒場や貧民窟で独り観ている人々のことである。

どう贔屓目に見ても最早、お茶の間が「上」なぞではない。成功した一握りのセレブリティと、無縁かつ無名な多勢の弱者という構図である。

紅白やレコ大における出る側と観る側の逆転現象は、一体いつ起きたのだろう。

シンガーソング・ライターが紅白を辞退していた時代は、出ると観るの力関係が拮抗していたかもしれない。なぜなら、「出ないことがかっこいい」という前提には、紅白やレコ大への侮蔑が残っているからだ。

芸能界という仕組みには古今東西、詳述を避けなければならない悲史や哀話があるのだが、生まれながらに苦労を強いられた人々が、なんとかして生きる術であった芸能界というコモンセンスは、遥か遠くへと消えた。

紅白やレコ大が絶望的につまらなくなった本当の理由は、そこら辺にあるのではないかと思う。